2026年3月22日 受難節第五主日礼拝説教「神の恵みの内に踏みとどまる」 東野 尚志牧師

申命記 第10章12~13節
ペトロの手紙一 第5章12~14節

 主の日の礼拝において、ペトロの手紙を読み続けてきました。昨年の6月最後の主日に、この手紙の第2章1節から10節までを読んだのが最初でした。最初に第2章の言葉を取り上げたのは、2025年度の年間聖句を味わうことから始めたいと思ったからです。この一年間、毎週、週報を開くと、右下に年間聖句を掲げてきました。「あなたがたは、選ばれた民、王の祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある顕現を、あなたがたが広く伝えるためです」。この御言葉を味わうことから初めました。そして、改めて、7月以降、1章の初めから少しずつ区切りながら、ペトロの手紙一の御言葉を味わってきました。それから9ヶ月を経て、今日は、この手紙の結びの言葉を読むことになりました。短い結びですから、取り立てて注目することもなく、読み過ごしてしまいがちな言葉かもしれません。当時の手紙の結びの定型句のように思われるかもしれません。けれども、この短い言葉の中に、この手紙の全体が要約されていると言って良いのではないかと、私は思います。ペトロの手紙が伝えようとした大事な主題が、最後に、改めて、思い起こされ、くっきりと刻まれているのです。

 ところで、この短い結びの言葉の中に、二人の人物の名前と地名が一つ、初めて出てきました。12節に「シルワノ」という名前が挙がり、13節に「マルコ」という名前が出てきます。同じ13節に「バビロン」という地名が出てくるのです。具体的な人の名前や地名というのは、手紙の背景を知る手掛かりになります。ただし「バビロン」というのは、文字通りのバビロン捕囚で知られたメソポタミア地方のバビロニア帝国を指しているわけではありません。言わば隠語として、ローマ帝国を指していると考えられます。紀元前6世紀に、バビロニア帝国によってエルサレムの都が破壊されました。それと同じように、紀元70年にローマ帝国によってエルサレムの都は壊滅状態となります。それを重ね合わせるようにして、ローマを指して「バビロン」と呼んだのです。特に、ヨハネの黙示録の中に、その用例が多くあります。直接、ローマと呼ぶのがはばかられるようなとき、隠語としてバビロンの名で呼ばれました。この手紙は、恐らく、ローマの地で、ローマの教会の仲間たちの中でしたためられたのではないかと思われます。「シルワノ」「マルコ」という名前も、最初にこの手紙を受け取った教会の人たちにとって、親しみのある、よく知っている人たちであったと考えられます。この手紙の著者とされるペトロとも親しい間柄であったのでしょう。ペトロと宛先の教会とをつなぐ人たちであったと思われるのです。
 まず初めに名前が挙がる「シルワノ」ですが、12節の最初に次のように記されます。「私は、忠実な兄弟と認めているシルワノによって、あなたがたに短い手紙を書き」。ペトロは、シルワノによって、この手紙を書いたというのです。ペトロが語った言葉を、シルワノが書き記した、つまり口述筆記をしたということかもしれません。ただし、手紙が書かれた年代からすると、ペトロ自身が書いたというよりは、ペトロの教えを受けたシルワノが、ペトロの名を借りて、手紙としてまとめた、ということであったのかもしれません。あるいはまた、当時の手紙の書き方からすると、シルワノがこの手紙を預かって、小アジア、現在のトルコの北の方に生まれていた信徒たちの交わり、いくつかの教会に送り届けたということであったかもしれません。いずれにしても、ペトロの信頼を受けた人物として、ペトロと小アジアの教会をつないだのが、このシルワノという人物であったと考えられます。ペトロは、シルワノを「忠実な兄弟」と認めていたわけです。

 このシルワノは、使徒言行録の中では、シラスという名前で記されています。恐らく、シラスというのが、ギリシア語の世界で通用したもともとの名前で、それがローマの公用語であったラテン語に移されたのがシルワノという呼び名であったのではないかと考えられます。このシラスとも呼ばれるシルワノは、ペトロよりはむしろ、パウロのとの関わりで良く知られた人物であったようです。使徒言行録の第15章では、エルサレムの使徒会議の大事な決定事項を異邦人の諸教会に伝える役割を担っています。恐らく、そのことがきっかけで、異邦人の使徒となったパウロと行動を共にしたのではないかと考えられます。パウロが第2回の伝道旅行に出かける際、新たな同行者として選んだのがシラス、つまりシルワノでした。
 パウロは、最初の伝道旅行には、先輩であったバルナバと、バルナバのいとこのマルコと一緒に出かけています。ところが、年若かったマルコは旅の途中で嫌気がさしたのか、勝手に一人でエルサレムに帰ってしまいます。それで、2回目の伝道旅行を計画する際、パウロは身勝手なマルコはもう連れて行かない、と言いました。バルナバは、いとこのマルコを育てようと願っていたのでパウロと意見が合わず、決裂して、別々の道を行くことになります。バルナバはマルコを連れて先に旅に出てしまいました。そこで、パウロは、新たにシラスを選んで、教会の祈りによって送り出されて、第2回の伝道旅行に出かけたのです。そして、途中で、テモテをスカウトして、シラスとテモテがパウロの新たな同行者となりました。こうして、シラスは、ペトロよりも、むしろパウロと行動を共にすることが多かったのだと考えられます。

 とても興味深いことに、このペトロの手紙の中で、後でもう一人名前が挙がっている「マルコ」というのが、パウロとバルナバの決裂の原因となった若者であったと考えられています。バルナバが見捨てずに、マルコを育てたのでしょう、後には、パウロとも和解をしたようです。使徒言行録の中では、「マルコと呼ばれるヨハネ」として紹介されています。マルコの母親であるマリアは最初の教会で重要な働きをした人で、その家はみんなが集まる祈りの家となっていました。ペトロが捕らえられて牢に入れられたときも、マルコの母の家で熱心に祈りが献げられていました。その夜、天使によって解放されたペトロは、真っ先にその家に行ったといいますから、ペトロとマルコは以前からの知り合いであったわけです。
 古代のある歴史家によれば、マルコはペトロの通訳であったと記されています。ペトロは、イエス・キリストの直弟子でしたから、主イエスが地上におられた頃、教えてくださった言葉を直接自分の耳で聞き、主イエスがなさった不思議な業を自分の目で見たのです。まさに目撃者です。主イエスが復活して天に帰られた後、ペトロは、教会の礼拝や集会において、目撃証人として何度も主イエスについて見聞きしたことを語ったに違いありません。もとはガリラヤの漁師であったペトロが、日常語であるアラム語で人々に語っていたイエス・キリストの福音を、マルコはペトロが話した通りに書き留めながら、それをもとにして、ギリシア語で福音書にまとめたのだと言われます。それが、マルコによる福音書であると伝えられているのです。ペトロは、マルコのことを「私の子」と呼んでいます。ペトロがマルコを信仰に導いたのかもしれません。いずれにしても、パウロとの間には因縁のあったマルコが、後にはペトロの働きを支えるようになり、ペトロのもとにいたのです。

 ペトロが「忠実な兄弟」と認めており、大事な手紙を託したシルワノは、パウロの伝道旅行の同行者でもありました。そして、ペトロが「私の子」と呼ぶマルコ、マルコと呼ばれたヨハネは、パウロとも因縁のある人物でした。ペトロはユダヤ人に福音を伝える使徒として立てられ、パウロは異邦人に福音を伝える使徒として立てられていました。けれども、その働きがいろんなところでつながっており、ペトロとパウロと双方に関わりを持つ人たちが、一緒に伝道している、という姿は、私たちに大事なことを教えていると言ってよいと思います。伝道は一人で担うものではない、ということです。伝道の業は、最初から共同の働きでした。共に祈り合い、支え合い、協力し合う仲間たちが、主の福音を伝える業を共に担っていたのです。ときに、ぶつかり合ったり、分かれ分かれになったりすることがあっても、そのことを通して、それぞれに新たな協力者が与えられ、伝道の業がさらに広がっていくことになりました。
 それは、伝道というのが、個人の信念に基づく業ではなくて、神さまご自身の業に共に仕える働きであるからだと思います。神さまの業に仕えていくときには、私たちが抱えている弱さや欠けもまた、神さまの恵みを証しするために用いられるのです。そして、ひとたびは、ぶつかり、分かれ分かれになってしまったとしても、同じ福音のために仕えているならば、その先に和解の道が備えられ、人間的な小ささや限界を突き抜けた、より豊かな神さまの恵みを味わい知るのです。神さまの前に立つとき、私たちは、主イエスによって罪赦された者として、和解の福音によって生かされます。赦された者として、互いに赦し合い、受け入れ合い、共に祈り、共に主を仰ぐ者とされます。礼拝において、共に主の言葉を聞き、主を仰ぐとき、私たちは、主のまなざしの中で、和解して一つになることができる。主が愛しておられるお互いのことを、私たちもまた愛し受け入れ、互いに仕え合うようにと励まされるのです。

 さて、手紙の結びにおいて、ペトロの働きを共に担ったシルワノやマルコ、さらに当時の教会の姿を思い描きながら、この手紙が伝えようとした大事なメッセージを、改めて、しっかり聞きとりたいと思います。「私は、忠実な兄弟と認めているシルワノによって、あなたがたに短い手紙を書き、勧め、これこそが神の真実の恵みであることを証ししました。この恵みの内に踏みとどまりなさい」(12節)。ペトロが、この手紙を書いたのは、勧め、証しするためであったと語ります。ペトロは、この手紙において、何を勧めてきたのでしょうか。たとえば、2章11節で次のように勧めました。「愛する人たち、あなたがたに勧めます。あなたがたはこの世では寄留者であり、滞在者なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい」。この世においては、「寄留者であり、滞在者」であることを忘れてはならない、と語りました。それは、一時的な滞在者であり、やがては立ち去る旅人なのだから、この世のことには深く関わらないようにしなさい、ということではありません。そうではなくて、旅人としての真の目的地を見失って、この世の価値観や論理に絡め取られてしまってはならない、ということだと思います。放浪者とは違って、旅人には目指す目的地があるのです。この世に生きている以上、私たちは、この世のさまざまなしがらみに苦しめられることになります。それを超越して、達観して生きるというのではありません。そのただ中でもがき苦しみながらも、本当に大事なことは何であるのか、最後まで残るものは何であるのか、ということを、いつも求めて生きるということではないでしょうか。
 この手紙は、厳しい迫害にさらされていた小アジアのキリスト者たちに向って「勧め」を語っています。それは、単なる生き方の教えではありません。「勧める」と訳されている言葉は、「励ます」「慰める」「勇気づける」と訳されることもあります。この手紙は、迫害に苦しむ小アジアの信徒たちに、そして、私たちすべてに向けて、慰めと励ましを語ります。試練や困難の中にある者たちに、希望を告げようとしていると言ってもよいと思います。日々の歩みの中で、辛いことや苦しいこと、嫌なことはたくさん起こります。けれども、神さまは、イエス・キリストを通して私たちに希望を与えてくださっている、と告げるのです。そう思って、改めて、この手紙の全体を読み返してみると、希望に満ちた言葉が散りばめられていることに気づきます。特に、第1章3節では、次のように語りました。「神は、豊かな憐れみにより、死者の中からのイエス・キリストの復活を通して、私たちを新たに生まれさせ、生ける希望を与えてくださいました。また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、消えることのないものを受け継ぐ者としてくださいました」。新たに生まれた、というのは、洗礼を受けたということです。私たちは、洗礼を受けることによって、主イエス・キリストに結ばれて、神の子として新たに生まれさせていただきます。その生まれたばかりのキリスト者に「生ける希望」を与えるのです。「生きる希望」ではなくて「生ける希望」です。新共同訳聖書では「生き生きとした希望」と訳しました。時代や状況が変われば、空しくなるような人間が造り出した希望ではなくて、神さまが与えてくださる希望です。死んだら終わりということではなくて、死を突き抜けて約束され実現される復活の望みです。この希望については、「あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、消えることのないものを受け継ぐ」と言われました。キリストが死者の中から復活させられたように、キリストに結ばれた私たちもまた、終わりの日、復活の体を与えられて、朽ちず、汚れず、消えることのない永遠の命にあずかることが約束されています。これこそは、生きている時も死ぬ時も、生きている時だけでなく、死に臨んでも、いや死の中においてさえも、決して、空しくなることのない確かな望みであり慰めなのです。

 ペトロの手紙は、勧めに続けて、「これこそが神の真実の恵みであることを証ししました」と告げています。「これこそ」というのは、何を指しているのでしょうか。ここに至るまで、この手紙の中で、恵みという言葉が繰り返し語られてきました。それほど長くない手紙の中で、10回も「恵み」、「カリス」という言葉が用いられています。恵みというのは、受ける資格のない者に与えられる特別な厚意を意味します。私たちが何をしたからというのではありません、私たちが何か手柄を立てたから、何か立派なことを成し遂げたから、というのではなくて、何もないのに、むしろマイナスなのに、神さまから一方的に与えられるのが恵みです。その恵みの中身は、文脈によってさまざまであるかもしれません。その中で、とりわけ印象深い用いられ方をしているのが、2章の19節と20節でした。このように語られています。「不当な苦しみを受けても、神のことを思って苦痛を耐えるなら、それは御心に適うことなのです。罪を犯して打ち叩かれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょうか。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです」。「恵み」という言葉が出てこないじゃないか、と思われたかもしれません。実は、この中で「御心に適う」と訳されているのが、カリス、恵みという言葉なのです。

 特に、20節の最後は、「これこそ神の御心に適うことです」と訳されていますけれども、直訳的に言えば、「これこそが神の恵みなのです」となります。そこで告げられているのは、キリストを信じる者が、その信仰のゆえに不当な苦しみを受けること、しかし、その苦しみの中で、神のことを思って苦痛を耐えること、さらに、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶことです。これこそが神の恵みだと告げているのです。それを、神の御心に適うと訳したのは、恐らく、通常はとても恵みとは思えないようなことだからだと思います。私たちは、通常、神さまを信じたら、神さまの守りを受けて、安全、安泰、繁栄、成功、平安、そういった幸せが与えられると期待しているのではないでしょうか。人々はそのために、神に祈り、献げ物をし、神を拝んできたのです。それなのに、神を信じたら逆に苦しみを受けるというのは、いったいどういうことなのでしょうか。そういう思いがあるからこそ、人生において、思いがけない不幸な出来事に襲われたとき、神さまを信じているのに、どうして、という問いに悩まされるのだと思います。突然の病や愛する者の死、あるいは、大きな自然災害に遭ったときに、神さまから見捨てられたような不安や戸惑いを覚えてしまうのです。

 ペトロの手紙を読んでいく中で、ここが一番大事なところなのだと思います。神さまの恵みというのは、私たちが人生において自分の思い通りになる薄っぺらな幸せを得るということではありません。神さまの恵みは、こんな私たちがキリストのものとされているということです。私たちにその資格があるからではありません。むしろ、私たちはそれにふさわしい者ではないにもかかわらず、キリストのものとしていただいた。そこにこそ、本当の幸せがある。私たちは、その恵みを、洗礼において与えられます。洗礼を受けることによって、私たちは、主イエス・キリストと一つに結ばれるのです。洗礼によって、私たちはキリストのものとされます。私たちがどのような状況にあっても、主が私たちから離れてしまわれることはありません。どのような時にも、主が共にいてくださると信じることができるのです。世の多くの人たちが神の恵みと信じているものは、どれもやがては朽ちていくもの、過ぎ去るものに過ぎません。けれども、主が共にいてくださり、私たちがキリストのものとされているという恵みは、決して、過ぎ去ることがありません。たとえ、私たちが、重い病を宣告され、あるいは、洪水や火事や突然の災害によって、日常の生活がひっくり返るような経験をしたとしても、私たちがキリストのものであり、キリストが私たちと共にいてくださるという恵みが、空しくされることはないのです。
 このことが、もっとも鋭く現わされるのが、苦しみを耐えることにおいてである、とペトロの手紙は語ります。不当な苦しみを受けてもその苦痛に耐えることが恵みだと語った後、続けてこう言われました。「あなたがたは、このために召されたのです。キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです」(2章21節)。私たちは、苦しみに耐えることにおいて、キリスト苦しみに合わせられる。そして、キリストの苦しみに合わせられるならば、キリストの栄光にも合わせられるのです。洗礼は、イエス・キリストと一つに結ばれることです。だからこそ、キリストの死に合わせられ、キリストの復活にも合わせられると、信じ望むことができる。ペトロは語ります。キリストのゆえに苦しむことは、私たちがキリストに結ばれている証拠であり、キリストに結ばれている恵みを生きていることの、確かな証しなのだ。だから、絶望してはならない。生き生きとした希望があなたと共にある。この苦しみの中で、悩みの中で、痛みの中で、自分自身を見失ってしまってはならない。いや、もしかしたら自分を見失うことがあったとしても、キリストがあなたを見失うことはない。キリストはあなたをしっかりと捕らえていてくださり、あなたと共にいてくださる。だからこそ、苦しみに耐えることができるのだ、とペトロは言うのです。

 苦しみの中で十字架のキリストと出会い、苦しみを通して復活のキリストに合わせられることを望み見る。これこそが、私たちに与えられた恵みです。この恵みの中にしっかりと踏みとどまることによって、主にある和解と平和が実現するのです。その確信をもって、ペトロは最後の挨拶を記します。「キリストにあるあなたが一同に、平和があるように」。アーメン。