2025年5月18日 主日礼拝説教「歓迎されない救い主」 東野ひかり牧師
ルカによる福音書 第4章14~30節
イザヤ書 第61章1~4節
クラウス・ヴェスターマンという、もう25年も前に亡くなられたドイツの旧約聖書学者が書かれた、ルカによる福音書についての小さい本があります。ルターの研究で知られている徳善義和先生が、『若人と学ぶルカ福音書―ある父から娘への手紙―』という題で訳された、かなり古い小さな本です(1971年,聖文舎)。この本は、第二次世界大戦の終わり頃、その当時5歳であったお嬢さまのために、そのお嬢さまがいつか堅信礼を受け信仰告白をする日を思って、父であるヴェスターマン先生がルカによる福音書の聖書研究の手ほどきをしているというような本なのですが、この本で、ヴェスターマン先生が示しておりますルカ福音書の全体像の捉え方がとても分かりやすく、また興味深いものでしたので、はじめにご紹介させていただきます。
ヴェスターマン先生は、ルカによる福音書の全体像を、最初の第1章~第3章、最後の第22章~第24章、その間に挟まれている第4章~第21章というように、大きく三つに分けて捉えるのです。そのように三つに区分する理由は、ルカが、この福音書の冒頭の序文の中で「順序正しく書いて」と記したとおり、最初の3つの章は、主イエスの誕生から幼小期、少年期、そしておよそ30歳になったということまで、時間的順序に沿って書き綴られ、そして終わりの3つの章も、時間的順序に沿って「順序正しく」記されている、その意味で、最初の3つの章と終わりの3つの章は一体だから、と言うのです。そしてその間に挟まれている第4章から21章までは、時間的な順序正しさによって並んではいない、そういう形で三つに区分できると言うのです。
さらに、ヴェスターマン先生は、最初の3つの章に「かいばおけ」という題をつけ、終わりの3つの章には「十字架」という題をつけます。そして、終わりの3つの章の中心にある十字架の第23章は、昼の12時になっても〈夜のままであり続けた日〉だと説いてこう言います。「はじめの3つの章の中心には〈誕生の夜(クリスマスの夜)〉があり、終わりの3つ章の中心には〈死の夜(十字架の夜)〉がある」と。そして、「この二つの夜の間に、明るいたった一日のように、主キリストの生涯全体と働きとがある」と、このようにルカによる福音書の全体像を捉えるのです。皆さまがどうお感じになるかは分からないのですが、私はこういう聖書の読み方・捉え方にとても惹かれます。
最初の3章と終わりの3章の中心を「夜」と捉えるヴェスターマン先生の捉え方には、この聖書研究が戦争中というまさに「夜」という時代のただ中で考えられ、書かれた、ということが影響しているかもしれないとも思います。また、旧約聖書学者のヴェスターマン先生のこのようなルカ福音書の捉え方には、もしかすると、新約聖書学者たちからの反対意見があるかもしれません。けれども、ルカによる福音書の全体像の捉え方として、このヴェスターマン先生のルカ福音書の全体像の捉え方は、単純ですけれどもとても魅力的で、そして優れていると思うのです。
ルカによる福音書の真ん中の部分、第4章~21章「二つの夜に挟まれた明るいたった一日のような、主キリストの全生涯と働き」の部分に、ヴェスターマン先生は〈救い主の日〉という題をつけます。そしてこんなふうに語ります。「これらの章において、それぞれの日や月や年が時間的な順序に従って並べられているか……ということは、重要なことではありません。キリストに関しては、他のすべての人に関してとは全く違うのです。キリストの生涯は、満たされたたった一日でした。……」
今朝私たちが共に読みましたのは、このキリストのご生涯という満たされた一日の始まりのところ、もう少し正確に言えば、キリストの公のご生涯・伝道活動の始まりの部分です。荒れ野で40日間悪魔と戦われたのち、主イエスは神の霊の力に満たされて、その伝道を開始されました。ルカ福音書は、主イエスの伝道のご生涯の、その始まりのところに、主イエスの故郷ナザレの会堂での出来事を記します。主イエスは、故郷ナザレの会堂に「いつものとおり」お入りになり、ナザレで過ごされた日々でいつもそうしておられたように、安息日の礼拝に出席されました。そこで、イザヤ書の第61章の冒頭、今朝、旧約聖書のテキストとして読みましたところの冒頭の部分を朗読されました。そして語り始められました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」
この「今日」という言葉が、ルカ福音書において、実は大事な意味を持つのです。たとえば「今日は5月18日です」というように「今日」という言葉は用いますが、ルカ福音書における「今日」というのは、こういう日付を意味する「今日」ではないのです。ルカにおいて「今日」というのは、イエス・キリストというお方と共に神の救いの力が満ち満ちる「今日」、神の救いの力が現わされた・実現した「今日」を意味するのです。そういう意味での「今日」がここに告げられているのです。
この「今日」は、最初の〈誕生の夜・クリスマスの夜〉にすでに告げられていました。天使は羊飼いたちに言いました。「今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(2:11)。そして最後の〈死の夜・夜であり続けたあの十字架の日〉においても、主イエスは、一緒に十字架につけられた二人の強盗のうちのひとりにこの「今日」を告げられました。主イエスは強盗のひとりに言われました。「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」(23:43)。最初の夜と最後の夜に、神の救いの力が現わされた「今日」が宣言されているのです。
そしてその間に挟まれる主イエスのご生涯は、その始めから終わりまで、この神の救いの力に満ち、それが現わされ実現した「今日」として、時間的順序に従ってというよりは、救いの出来事の順序に従って記されていくのです。ヴェスターマン先生は、第4章~21章に〈救い主の日〉と題をつけられましたが、この部分は、〈救い主の今日〉と呼んでもよいのではないかと思います。その始まりのナザレの会堂で、主イエスは、預言者の約束が「今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と宣言されました。そして、この〈救い主の今日〉が終わりに近づいた第19章で、主イエスは、徴税人ザアカイに言われたのです。「今日、救いがこの家を訪れた。」(19:9) ルカによる福音書は、その最初と最後の〈二つの夜〉においても、〈救い主の今日〉を力強く宣言します。そして、二つの夜に挟まれた「明るいたった一日のような、主キリストの公のご生涯」は、イエス・キリストというお方と共に神の救いの力が実現する「今日」が貫かれる、〈救い主の今日〉として、書き記されていくのです。
ヴェスターマン先生は、二つの夜の間に挟まれた〈救い主の今日〉を「明るい一日」と表現されましたが、しかし「明るい」というのは、第4章のナザレの出来事においては当てはまらない、とも思います。ルカは、主イエスの公のご生涯の始まりを「明るい日」としては、描いていません。〈救い主の今日〉の始まりには、最初の夜と最後の夜の暗さが、影を落としています。主イエスの故郷ナザレの会堂での出来事、その顛末は、ナザレの人々が主イエスを殺そうとした、というものでありました。28-29節「これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。」何とも暗い結末です。
ナザレの会堂、そこは主イエスが子どもの頃から親しみ通い慣れた場所だったでしょう。会堂は、礼拝所であっただけではなく、学校でもあり、コミュニティセンターでもありました。主イエスもそこで、他の子どもたちと一緒に勉強なさったかもしれません。会堂に集ったナザレの人々は、主イエスのことを子どもの頃からよく知っていたでしょう。その大工のヨセフの長男イエスが、カファルナウムの会堂では人々の病を癒やし、悪霊を追い出し、すばらしい働きをして人々から称賛を受けて、故郷ナザレに帰って来た。馴染み深いこの会堂に、以前と同じように「いつものとおり」、安息日礼拝にやって来た。ナザレの人々は誇らしい思いで主イエスを迎えていたかもしれません。会堂長は、「今日はぜひ君に聖書を読んでもらいたい、説教をしてもらいたい」そんなふうに主イエスに話していたのかもしれません。
主イエスは、手渡された預言者イザヤの巻物を開き、第61章を選んで読み始められました。
「主の霊が私に臨んだ。/貧しい人に福音を告げ知らせるために/
主が私に油を注がれたからである。/
主が私を遣わされたのは/捕らわれている人に解放を/目の見えない人に視力の回復を告げ/
打ちひしがれている人を自由にし/主の恵みの年を告げるためである。」
読み終えると、主イエスは巻物を係の者に返して席に座られました。会堂の礼拝では、座る、という動作が説教開始の合図でした。会堂中の人々の目が一斉に主イエスに注がれ、主イエスの第一声を皆が待ちました。会堂中に主イエスの声が響き渡ります。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」。主イエスは、預言者イザヤの言葉は、「今日」今ここに、主イエスが口にされたこのときに実現した、そうおっしゃいました。ご自分こそが、主なる神の霊を受け、油を注がれ、神から遣わされた者、つまりメシア・救い主だと、宣言されたのです。そして、イザヤが預言した「主の恵みの年」、捕らわれの神の民が解放され、民にまことの癒やしと赦し、解放と自由が与えられる「主の恵みの年」が、今日ここに、主イエスにおいて「実現した」とおっしゃったのです。
先ほどは、「今しもヨベルの年こそきつれ」という讃美歌を歌いました。ヨベルの年とは、このイザヤが告げた「主の恵みの年」のことです。それは50年ごとに訪れる、大いなる赦しと解放が行われる年です。そのヨベルの年が始まるとき、ヨベルと呼ばれた雄羊の角の角笛が吹き鳴らされた、それで「ヨベルの年」と呼ばれた。それはまことに喜ばしい日でありました。主イエスは、ご自分こそ、新しいヨベルの年をもたらす、赦しと解放と自由を実現するメシア・救い主に他ならないと、そう宣言されたのです。
この主イエスの説教の第一声を聞いたナザレの人々は、22節に「皆はイエスを褒め、その口から出て来る恵みの言葉に驚いて」とあるように、はじめは主イエスの口から宣言された言葉に驚きつつも、それを「恵みの言葉」として聞き、主イエスを称賛しました。けれどすぐに、皆我に返ったかのように、その称賛と驚きは疑念に変わっていきました。「この人はヨセフの子ではないか。」「この人はヨセフの子ではなかったか? この人は今自分のことをメシアだと言ったのか? 我々はヨセフの息子のイエスのことならよく知っている、この人がメシアのはずがない。」ナザレの人々の間に広がったのは、そんな思いだったでしょう。
そしてさらに、主イエスはそのように疑念に包まれ始めたナザレの人々の本心・本音を抽出するかのように、こうおっしゃったのです。23節「イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うに違いない。」 主イエスはナザレの人々に言われました。「あなたがたは、自分で自分の病気を治せないような医者は信用できないと言う。あなたがたは、私がこのナザレでも、あなたがたが喜ぶような見事な奇跡をやってみせるならばメシアと認めよう、信じよう、そう言うのだね。」 ナザレの人々の本心に起こっていたのは、「私たちのために、私たちを喜ばせてくれる驚くべき業を、このナザレでもやって見せてくれたら信じよう」、そういう心でした。そしてそのナザレの人々の心は、十字架の主イエスに投げつけられたあの嘲りと、本質的には、同じものだったと言えるのです。「他人を救ったのだ。神のメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」(ルカ23:35〜37)「十字架から降りてみろ。そうすれば信じてやろう。」ナザレの人々の心に、主を十字架につけた人々と同じ思いが生じていたことを、主イエスは見抜かれたのです。
続けて主は言われました。「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。」この言葉は、諺のように有名になりました。時に牧師や伝道者に対して、「子どもの頃のこと、若い頃のことをよく知られている母教会には赴任するものではない」というような意味で使われたりもいたします。「この人は、ヨセフの子ではないか」というように、「この先生は、○○家の息子だ、娘だ」と言われてしまう、そして、伝道者として敬ってもらえない、伝道者として受け入れてもらえない、というわけです。たしかにこういうことはよくあることかもしれません。けれどもここで主イエスが言われたのは、単にそういう意味ではないのです。
この「歓迎されない」、肯定形では「歓迎する」という言葉は、実は先ほどの、預言者イザヤの言葉の「主の恵みの年」と訳された「恵みの」と同じ言葉です。「歓迎する」というのは、「喜んで受け入れる」という意味です。「主の恵みの年」というのは、「主が喜んで受け入れる年」という意味です。それは、神さまというお方が、すべての人々をそのあらゆる捕らわれから解放すること、解き放ち赦すこと、自由を与え、恵みを与え、喜びを与え、救い出すこと、それを、ご自分にとって「喜んで歓迎すべきこと、うけいれるべきこと」とされる、そういう神だということを意味しているのです。そして主イエスは、その神さまの救いのみ業を実現するメシア・救い主こそご自分であると、宣言されたのです。その主イエスを、ナザレの人々は歓迎しなかった、喜んで受け入れなかった、ということです。
続く25~27節で、主イエスは旧約聖書の列王記に記されている預言者エリヤとエリシャの話をなさいます。エリヤもエリシャも、神の民であるイスラエルの人々のところにではなく、異邦人のサレプタのやもめや、異邦人のシリア人ナアマンのところに遣わされて、神の救いのみ業を行った、癒やしの業を行った、という話をなさいました。主がお語りになったのは、「神さまというお方は、イスラエルではない人々のところで救いのみ業をなさった。神さまは、それほどに、あなたがたにとっては思いがけないほどに気前よく、恵みに富み、憐れみ深い神だ」ということです。神さまは、「ヨベルの年」の喜ばしい解放と自由を、ユダヤの民だけではなく異邦人にも、すべての人々に与えることを「歓迎される、喜んで受け入れる」お方だと言われたのです。
ナザレの人々は、自分たちのよく知っているヨセフの息子イエスが、まず故郷の自分たちのために驚くべき救いの業をしてくれて当然だと思っていました。主イエスがまず自分たちのために働いてくれることを期待しました。そして神さまについても、神はまずイスラエルのため、ユダヤの民のために救いを行われるはずだと思っていたのです。しかし神の救いのみ業は、ユダヤの民全体を超えて異邦人に、広く全世界に与えられ、実現するのだと主イエスは言われたのです。ナザレの人々は、主イエスがそのような神の大いなる恵みを告げたことが、全くもって気に入らなかった。神がそのような恵み深い神であること、主イエスがそのような神のメシアであるなど、全く歓迎できなかった、受け入れられなかったのです。
ある注解者は、このところを解説しながら旧約聖書のヨナ書の話をいたします。ヨナは、ニネベに行けという神さまのご命令に従いたくなくて逃げ出し、ニネベと反対方向に行く船に乗ります。しかし神さまに背いたヨナのせいで船は難破しそうになり、船の人々はヨナを海に投げ込み、ヨナは大きな魚に飲まれてしまいます。魚の腹の中でヨナは祈り、悔い改め、救い出されます。その後、神さまは再びヨナにニネベに行けとお命じになります。今度こそヨナは、神さまの言葉に従ってニネベに行き、そこで一所懸命ニネベの人々に「あと四十日でこのニネベは滅びる」と伝えて歩きました。するとニネベの人々は皆、王さまも、家畜までも皆、悔い改めて神に立ち帰って、神さまを信じました。それで、神さまはお心を変えて、ニネベの町を滅ぼすことを思い直されました。ところがヨナは、神さまがニネベの町を滅ぼされなかったことに腹を立てるのです。神さまに対して不愉快になって怒って言うのです。「あなたが恵みに満ち、憐れみ深い神であり、怒るに遅く、慈しみに富み、災いを下そうとしても思い直される方であることを私は知っていたのです。」「私はもう生きていたくありません。死んだほうがましです。」そう神さまに対して腹を立てて、ふてくされたかのように、ニネベの都を出て、その東のところに小屋を作って、そこでニネベの町がどうなるか見ていたというのです。
ヨナも、ナザレの人々も、そして私たちも皆、神さまには神さまらしくあってほしいのです。自分にとって、納得できる神さまであってほしいのです。自分たちから見て悪い者に対しては滅び・罰を、きちんと下してくださる神であってほしい。そうでなければ納得できないのです。自分が納得する、自分が気に入る神さま、自分が喜べる神さま・メシアであってほしいというのが、ヨナの思いであり、ナザレの人々の心であり、また、私たち皆の本心・本音なのではないでしょうか。私たちの気に入るみ業、働き、救いを与えてくださる神さま、救い主でないと嫌なのです。私たちはときどき、どうしてあんな人が救われるのか、あんな人は罰を受けて当然ではないかと、どうして神さまはあんな人を受け入れておられるのか、赦してしまうのかと、そんなふうに思って神さまに腹を立てる、ということがあるのではないでしょうか。どうしてこんなに一所懸命に信仰生活をしている自分が報われなくて、あんないい加減な人が報われ、祝福され、受け入れられているのか、そんなふうに思うこともあるかもしれません。私たちは、神さまに対して不愉快になる。こんな理不尽なことを許す神さまは嫌だ、こんなイエスさまは嫌い、受け入れられない、そんなふうに言うのです。ヨナと同じです。神さまのあまりに大きい憐れみ深さが気に入らない、納得できないのです。
主イエスがナザレの会堂でイザヤ書を朗読なさったとき、実はお読みにならなかった言葉がありました。イザヤ書第61章2節の2行目の言葉です。イザヤ書にはこのように記されていました。「主の恵みの年と/私たちの神の報復の日とを告げ」この2行目の「私たちの神の報復の日とを告げ」という言葉を、主イエスは朗読されませんでした。「主の恵みの年を告げるためである」そこまでをお読みになった。「報復の日を告げる」という言葉は省かれたのです。それは、主イエスがメシアとして実現する「主の恵みの年」、その救いのみ業は、報復ではなく、どこまでも赦しであり、解放であり、自由を与えるものであり、恵みと喜びを告げるヨベルの年であるからでしょう。
主イエスは、ナザレの人々の実に激しい敵意と殺意を受けながら、その人々の間・真ん中を「通り抜けて立ち去られ」ました。立ち去って、どこかに消えてしまったということではありません。こんな神ならいらない、こんな救い主は私の救い主ではない、気に入らない、受け入れられないと、腹を立て、主を殺そうとする、そういう私たち人間の夜の闇の中へと、罪の闇の中へと進んで行かれたのです。報復のためではありません。赦しと解放と自由を実現していくためです。
主イエスの歩みは、宿るところのなかった最初の夜から始まりました。その誕生の夜から、神の御子は世の人々から受け入れられなかった、歓迎されなかった。「泊まる所がなかった」(2:7)のです。その最初の夜から、殺される最後の夜へと〈救い主の今日〉は向かっていきます。しかしその旅路の中で、主は、「今日、この家に救いが訪れた」と、赦しと解放と自由が実現した「今日」を告げ続けて行くのです。主は、罪と死の夜の中を進んで行かれるのです。はらわたちぎれるほどの深い憐れみをたたえながら、進んで行かれます。そして、最後の夜、罪と死の力極まった夜を通り抜けて、お甦りになるのです。
私たちの救い主はこのようなお方です。この救い主は、主を歓迎しない私たちの罪の闇の底にまで進み来たり、そこで「今日、あなたに救いが訪れた」と言って、自由と解放と赦しを告げてくださる救い主です。ヨナのように、神に向かって「納得できない」と駄々をこねるような私たちの固い夜の魂を、はらわた引きちぎれんばかりに悲しみ、私たちのその魂に駆け寄って抱きしめてくださる、主はそのような救い主です。この救い主に、私たち皆、すべての人が、喜んで受け入れられ、歓迎され、迎え入れられているのです。