2025年2月23日 主日礼拝説教「私たちが救われるべき名」 東野ひかり牧師

詩編 第118編19~25節
使徒言行録 第3章1~10節,第4章5~12節

 1月の終わりに、富士山の麓、裾野市の修道院で行われました「説教者リトリート」という会に参加することが許されました。普段教会からあまり離れることなく生活をしております私にとりましては、教会から離れての3泊4日の学びと生活は、とても貴重な恵みの時でした。参加を認めてくださった役員会と教会の皆さまのご理解と、夫の協力に心から感謝しております。リトリートでは、鎌倉雪ノ下教会の川﨑公平牧師がお書きになった『使徒言行録を読もう』という本をテキストに、使徒言行録をひたすら読み、共同で黙想を重ねました。そのようなこともありまして、今日の礼拝では、使徒言行録の第3章と第4章から、お話させていただくことにいたしました。使徒言行録は、今婦人会のオンライン聖書研究会(ともしびの会)で学び続けておりますので、この箇所についてはすでに学んでいたのですが、リトリートでも新たな気づきや学びを与えられました。今朝はリトリートでの恵みを皆さまとも分かち合うような思いで、この使徒言行録の、教会にとってまことに大切な、決して忘れてはならないみ言葉をご一緒に聞いて参りたいと思います。

 使徒言行録は、生まれたばかりの教会の姿を描いていきます。その生まれたばかりの教会が、実に堂々と、大胆に、臆することなく、妨害にも屈せず、全く自由に、主イエス・キリストの名による救いを告げる、その姿を生き生きと描いています。そのひとつの頂点とも言える言葉が第4章10~12節です。「皆さんもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中から復活させられたナザレの人イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられ/隅の親石となった石』です。この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」」これは、教会にとって決定的な言葉です。教会の生命線です。この言葉を失ったり、ないがしろにしたり、忘れたりしたら、教会はそのいのちを失う、そういう言葉です。
 以前の教会で、尚志牧師は使徒言行録の連続講解説教をしていました。今回のリトリートの中で何度か「使徒言行録の講解説教をするのは難しい」ということが言われました。確かに、色んな意味で、使徒言行録の講解説教をするのは難しいのだろうと思いながら、わが夫はそんなに難しいことを繰り返していたのか、と思いましたけれど、私自身は夫が説き明かす使徒言行録の説教を退屈に思ったり難しく思ったりすることはあまりありませんでした。特に今日与えられています第3章の、足の不自由な男が癒やされ、自分の足で立ち上がって歩き出した出来事を説いた説教では、私自身が、ここでの生まれつき足の不自由だった男のように、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と手を取られ、立ち上がらせられるような思いで聞きました。また、第4章12節のみ言葉が説かれた説教は、胸を突かれる思いで聞いたことを思い出します。心震わせて聞きました。この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」 夫はこの言葉を、まったく何も割り引くことなく、また何も加えることもなく、説いたと思います。その迫力ある説き明かしは、わが夫ながら「すごい」と思ったことでした。その印象が強いのかもしれませんが、私はここを読みますたび、いつも心が震えます。

 「この人による以外に、救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」ペトロは、実に堂々と、臆することなく語りました。堂々たる教会の証言です。ここには、実に堂々と大胆に、臆することなく全く自由に、主イエス・キリストの名による救いを告げて伝道する教会の姿が描かれています。今朝の聖書朗読には含めませんでしたが、続く第4章13節にはこう記されています。人々は、ペトロとヨハネの堂々とした態度を見、二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であることも分かった。」ペトロとヨハネは、高度な学問を修めたわけでもない、ごく普通のユダヤ人、しかもガリラヤの田舎漁師に過ぎませんでした。そういう二人が、生まれたばかりの教会を代表するようにして、ユダヤの最高法院の法廷の真ん中で、大祭司一族や議員、長老たちといったユダヤ人の権力者・指導者たちに囲まれながら、「イスラエルの民全体」に向かって、人々が驚くほどに「堂々と」語りました。この「堂々とした態度」と訳されている言葉は、「大胆さ」とも訳されますが、もともとは〈何でも言える自由〉を意味した言葉だそうです。〈ギリシアの世界では、奴隷ではない市民が持つ自由を意味した言葉〉だと教えられました。そこから〈言論の自由〉を意味する言葉ともなったそうです。使徒言行録においては、この言葉はこの第4章にあと2回出てきます。29節と31節です。そして、使徒言行録の最後、第28章31節にもう一度この言葉が出てきます。出てくる回数はそう多くはありませんけれども、この「堂々と、大胆に、全く自由に」を意味する言葉は、〈使徒言行録のキイワード〉だと、川﨑先生も本のなかに書いておられます。使徒言行録はこの言葉によって教会の姿を描き出している、そう言うこともできると思います。

 第3章1節以下に描き出されるペトロとヨハネの姿、つまり最初の教会の姿も、実に堂々としています。1節に、「さて、ペトロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に神殿に上って行った」とあります。これは、生まれたばかりの教会が、自分たちだけで閉じこもり扉を閉ざし、姿を隠して秘密の集会をしていたのではなく、神殿に行き、そこで自分たちの姿を人々の目にさらしながら、教会の集まりをしていたということを示します(2:46)。そして第3章11節以下では、ペトロがその神殿で、まことに大胆に「ナザレの人イエス・キリストの名」を告げる説教を語ります。ペトロが神殿で説教することになった、そのきっかけとなったのが、神殿の「美しい門」のところで、ペトロとヨハネが、すなわち教会が、生まれつき足の不自由な男を「ナザレの人イエス・キリストの名」によって立ち上がらせたという奇跡でした。人々は、この奇跡を見て大変驚き、「卒倒しそうになった」(3:10)とあります。癒やされた男は、ペトロとヨハネにくっついて離れず「付きまとって」いました(3:11)。神殿の美しい門のところに「置いてもらって」施しを乞うほか生きる術がなかったこの男が、今や躍るように歩き回って神さまを賛美しながらペトロたちに付きまとっている、人々はその姿に、ひっくり返りそうになるほど驚いたのです。人々は、ペトロたちが教会の仲間と集まっていた「ソロモンの回廊」と呼ばれる場所に駆け寄ってきて、この奇跡をなしたペトロとヨハネを驚きの目で見つめました。ペトロは集まってきた人々に言います。「「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、私たちがまるで自分の力や敬虔さによって、この人を歩かせたかのように、なぜ、私たちを見つめるのですか。」 人々は、ペトロとヨハネが驚くべき力を持っているのだと思って二人を見つめたのです。けれども、そのような視線を向ける人々に対してペトロはきっぱり、堂々と告げます。「あなたがたは命の導き手を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。私たちは、そのことの証人です。 そして、このイエスの名が、その名を冠した信仰のゆえに、あなたがたの見て知っているこの人を強くしました。その名による信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全に癒やしたのです。」(3:15-16)ペトロはこう告げたのです。〈「命の導き手であるイエス」、この名を信じる信仰が、そしてこの「命の導き手」であるイエスご自身が、この人を「完全に癒やした」。この人を死から命へと引き上げるように立ち上がらせて新しく生かしたのは、私たちの力や敬虔さや信心などではなく、「命の導き手」であるイエスご自身の力に他ならない。〉
 この堂々たる説教は、しかしユダヤ人の指導者たちの怒りを買いました。ペトロたちは捕らえられ、ユダヤの最高法院の法廷に立たされ、取り調べを受けることになります。ユダヤの指導者たちからすれば、自分たちが殺したはずのナザレのイエスは今も生きていると信じる者たちが、そのイエスの名によってこのような奇跡を行ったということを黙って見ているわけにはいきません。ペトロは捕らえられ、ユダヤの最高法院の場に立たされました。しかしペトロは、そこでも全く臆することなく、まことに堂々と大胆に全く自由に告げたのです。「皆さんもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中から復活させられたナザレの人イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられ/隅の親石となった石』です。この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」」

 ペトロも、また尚志牧師も、実に大胆に堂々と、臆することなく全く自由に、少しの割り引きも割り増しもなく、「この人による以外救いはない」「この名によるほかに救いなし」ということを語りました。けれども私は、今回のリトリートで改めて思い知りました。私の中には、このように躊躇なく、堂々と大胆に、少しも割り引かず何も加えず、というように語れない、そういう弱さがあり、臆病な気持ちがあると、よりはっきりと知らされました。「この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」 教会の生命線、教会のいのちであるこの言葉を耳にするときは、「ほんとうにそうだ、そのとおりだ」と心震わせて聞きます。しかしいざ自分がこれを語るとなると、ためらいが心をよぎる。臆病になる。堂々と大胆に、臆することなく全く自由に語る、ということができない自分を認めざるを得ないのです。
 私自身が感じてしまうこのためらいは、しかし皆さまにもお分かりになるかもしれない、と思います。私たちは、この日本という国に生きています。日本に生きる教会、キリスト者です。神社仏閣に囲まれ、また多くの「私は宗教は信じません、無宗教です」と言う人たちにも囲まれています。様々な形の神の名に囲まれている中で、どうして「キリストの名」でなければ救われないのか、他の名ではダメなのか、そういう問いにも囲まれます。また昨今の「宗教は恐い」という空気にも取り囲まれています。「イエス・キリストの名のみによる救い」を堂々と告げて伝道しようとしても、臆病になる、ためらってしまう。自分の心の中に妨げが生じるのです。この日本においては、今は幸いにして、ペトロやヨハネたちのように当局の権力者たちから〈言論の自由〉を妨げるような妨害を受ける、ということはありません。しかし違った仕方での妨げ、自分の心に生じる妨げがあると言わざるを得ないと思うのです。「臆病の霊」(Ⅱテモテ1:7)が、私の、私たちの心を支配する、ということがある。それゆえに大胆になれない、自由になれない。〈キリストの名のみによる救い〉ということについてどこか割引をしたくなる、あるいは割り増しをしたくなる。教会に来なくても、キリストに出会うことがなくても、救われる道はほかにもある、というようなことを言いたくなってしまうのです。リトリートで改めて、私自身のなかにある臆病、恐れを見つめさせられました。「福音を恥とする」そのこころを、見つめさせられました。

 しかし教会は、臆病の霊に支配される群れではありません。教会は大胆さと自由に生きる群れです。妨げにあっても、妨害にあっても、周囲の冷たい視線にさらされても、全く自由に臆せず、大胆に堂々と、「この名によるほか救いなし」と語り続けて、今に至るのです。教会のこの大胆さ、しなやかでしぶとい強さの秘訣は、どこにあるのでしょう。リトリートのなかで、改めてそのことを考えさせられました。けれど教会の強さの秘密は、そんなに考え込むほどのことではない、単純なこと、とも言えます。それは第4章8節に端的に語られています。「そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。」この聖霊の力です。
 けれども、この「聖霊に満たされる」ということは、これも使徒言行録が繰り返し語ることですが、私たちには分かるようでよく分からないことではないかと思います。「聖霊に満たされたから」で、すべてが説明されてしまうことに、少し納得がいかない思いになる方もおられるかもしれません。「聖霊に満たされる」、それはどういうことなのか、ペトロにとって、私たちにとって具体的にどういうことなのか。そう改めて問いつつ、ペトロの、教会の大胆さの秘密を問いつつ、川﨑先生の本に導かれながら聖書を読み、そのひとつの答えが第4章13節後半の言葉にあるのではないかと示されました。そこに、「人々は、……また、(二人が)イエスと一緒にいた者であることも分かった」とあります。ここに、「イエスと一緒にいた者」という言葉があります。これもことさらに言うほどのことではない、分かり切ったことかもしれませんが、しかし改めて、ペトロの大胆さの秘密をここに見つめることができるのではないかと思わされました。
 ペトロがここで立たされているのは、最高法院の法廷です。それは、ほんの50日と少し前、ペトロが主イエスを捨てて逃げ去った、その場所です。ペトロは確かに主イエスと「一緒にいた者」です。けれどペトロが主と一緒にいたとき、ペトロは三度、つまり完全に、「私はこのイエスという男など知らない、このイエスという男の仲間ではない、このイエスとは何の関わりもない」と、主イエスとの関係を否定して、「自分はこの人と一緒にいなかった」と言ったのです。今ペトロが立たされている場所は、ペトロにとって、その苦い自分の過去を嫌でも思い出す場所でした。けれども今その同じ場所で、主イエスが立たされ裁かれたのと同じ場所に立って、主イエスと同じように取り調べられ、尋問を受けるペトロは、もう逃げないのです。自分は「イエスと一緒にいた者」だということに支えられるようにして、堂々と立っているのです。

 ペトロは、第3章11節以下の説教の中で繰り返し、「あなたがたが十字架につけて殺した僕イエスを、神は死者の中から復活させた」と語りました。そのように語りながらペトロは、自分たちに「」として仕えてくださった主イエスをほかの誰でもないこの自分が捨て、自分が十字架に引き渡して殺したのだと、そう思いながら語っていたのではないでしょうか。「僕イエス」は、〈苦難の僕〉として、この自分の背きのために、この私の過ちのために、十字架に釘づけにされ、その命をもってこの自分の罪を完全に償ってくださった。そして神は、この「僕イエス」を死者の中から復活させて、罪と死の力に勝利させ、僕イエスに栄光をお与えになった。私たちは、このイエスと「一緒にいた」とき主を捨てた。しかし今、僕イエスの十字架の死によって背きの罪を拭われ、命の導き手であるイエスに立ち上がらせていただいて、復活の主イエスは今私たちと一緒にいてくださる。ペトロはそういう思いで語っていたのではないでしょうか。
 ペトロとヨハネは、足の不自由な男を癒やしたとき、施しのお金を期待してただぼんやりと自分たちを見ていた男を、じっと見つめ返して言いました。「私たちを見なさい」と。第3章3~6節には、大変生き生きとした「見つめ合い」が描かれています。この使徒言行録を書いたルカは、ここで4つの「見る」という言葉を用いて、三人の視線の交差を生き生きと描きます。男は、施しだけを期待して二人を「」ましたが、ペトロとヨハネはこの男を「じっと見て」言いました。「私たちを見なさい」。「何かもらえるのかと期待して二人に注目」していた男に向かって、ペトロははっきり大胆に告げました。「私には銀や金はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。
 「私たちを見なさい」、これは「自分たちの力のすごさを見なさい」などという意味ではもちろんありません。ペトロはここでこう言っているのです。〈私たちは主を裏切り、主を捨て、主を十字架に追いやって殺した。しかし私たちは今、主の十字架の死によって背きの罪を赦され、命の導き手である主によって罪の中から立ち上がせられ、立ち直り、命の道をこうして歩いている。この私を、私たちを見なさい。〉そして、力強く告げたのです。〈あなたが期待している銀や金は私にはない。でも、私が持っているものをあなたにあげよう。私たちしか持っていないもの、教会にしかないものを、あなたにあげよう。「ナザレの人イエス・キリストの名によって、立ち上がり、歩きなさい。」私もこのお方によって救われ、このお方によって立ち上がり、このお方によって命を与えられ、今歩いているのだ。あなたも私たちのように、命の導き手であるイエスの名によって立ち上がり、新しく生き始めなさい。〉まことに堂々たる教会の伝道の姿です。教会は、「主イエスによって赦され、立ち上がらされた私たちを見てください」こう言って伝道するのです。

 使徒言行録を書きましたルカは、その福音書の中で、ペトロが三度主イエスを知らないと言ってしまったときに鶏が鳴いた、そしてそのときに、「主は振り向いてペトロを見つめられた」と、主イエスのまなざしを書き記しています(ルカ22:61)。ルカによる福音書だけがこの主イエスのまなざしを書き記します。そして同じ著者ルカによる使徒言行録は、ペトロとヨハネと、この立ち上がらされた男との生き生きとした見つめ合いを描いたのです。
 鶏が鳴き、振り向いて自分を見つめられた主のまなざしを、ペトロは生涯忘れることがなかったと思います。主イエスのまなざしは、「自分はこの人と一緒にいなかった」と、三度にわたって主との関わりを完全に否定したペトロを赦すまなざし、「私はあなたと共にいる」と告げるまなざしであったに違いないと思います。そのまなざしはまた、お甦りになった主イエスがペトロたちに現われてくださり、40日間地上の歩みを共にしてくださったとき、何度も何度もペトロを見つめ、弟子たちを見つめたまなざしだったのではないでしょうか。ペトロは、「私はあなたと共にいる、あなたは私と一緒にいる者」そのように見つめる主のまなざしに見つめられ続けたのではないかと思う。そして天に昇って行かれた主は、天を見つめて立っていた弟子たち向かって、十字架のみ傷が刻まれたその両の手を挙げて祝福された、祝福しながら天に昇って行かれました(ルカ24:50,51)。そのときも、ペトロと弟子たちは、祝福と共に向けられた主のまなざしを浴びていたのではないかと思うのです。マタイによる福音書は「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という主の言葉を伝えました(マタイ28:20)。主は、そう告げる祝福のまなざしで弟子たちを見つめながら、天に昇って行かれたのではなかったかと思うのです。
 「聖霊に満たされる」ということは、この十字架と復活の主イエス・キリストの赦しのまなざし、愛のまなざし、救いのまなざし、祝福のまなざしを、全身に受ける、そのまなざしに包まれるということ、そう言ってもよいのではないかと思います。ペトロは、またヨハネは、そして教会は、主イエスのまなざしに見つめられて、聖霊に満たされて、立ち上がり、歩き出し、堂々と大胆に、全く自由に「この名によって歩いている私たちを見なさい」、「この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」と、声高らかに語り得たのではないでしょうか。たとえその言葉がどんなに反感を買うとしても、また妨げを受けるとしても、「世の終わりまで共にいる」という主イエスのまなざしが、共にいる主の霊が、教会を強め続けたのではないでしょうか。そしてこの主イエスのまなざしが、私たちの心のなかに沸き起こる臆病の霊を追いやってくださる、恐れを追い出してくださるのだと思うのです。
 ペトロとヨハネは、主イエスのまなざしを受けたその目で、この足の不自由な男をじっと見つめて、大胆に言ったのです。「私たちを見なさい。」「命の導き手であるイエスによって、立ち上がり歩いている、命の道を歩いている、この私たちを見なさい。」そしてこの男を見つめ返して言ったのです。「あなたも私たちのように、ナザレの人イエス・キリストの名によって、立ち上がり、歩きなさい。」そしてペトロは、最高法院の裁きの座の真ん中に立って、指導者たちを見据えながら、堂々と大胆に告げました。「この名による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。

 ルカは、使徒言行録の終わり、第28章31節でも、あの〈堂々と、大胆に、全く自由に〉という言葉を用います。囚人としてローマに護送されたパウロは、ローマで囚われの身でありながら「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」使徒言行録はこの言葉で終わります。パウロがそうであったように、教会は「全く自由に何の妨げもなく」福音を語り続ける、伝道し続けるのだと、ルカはそう書いて使徒言行録の筆を置いたのです。しかし実際は「何の妨げもなく」ではありませんでした。妨げはあったのです。福音を語っても受け入れられないという伝道の失敗がありました。第28章24節にははっきりこう記されています。「ある者は(パウロの)話を聞いて納得したが、他の者は信じようとしなかった。」何よりも、同胞のユダヤ人たちが、イエス・キリストの名による福音を受け入れなかった。それはパウロの生涯の痛み、苦しみでした。パウロも、使徒言行録の著者ルカも、教会の伝道がうまくいかない、福音が受け入れられないそういう苦しみと悲しみを知っています。様々な「妨げ」があることを知っています。自分たちの臆病も弱さも知っていたでしょう。しかし同時に言うのです。教会は「全く自由に何の妨げもなく」堂々と大胆に、イエス・キリストの名を告げ知らせ続けたのだと。教会に生きる一人ひとりが、主イエスのまなざしを知っているからです。「命の導き手」である主が、「私はいつもあなた方と共にいる、一緒にいる」と、見つめてくださって、私たちを命へと導いてくださることを知っているからです。
 私たちは知っています。私たち全ての人間のために死んで、甦ってくださったお方は、「ナザレの人イエス・キリスト」ただひとりなのです。私たちのために死んで甦ってくださったお方は、他に誰もいないのです。私たちを赦しをもって見つめ、命へと立ち上がらせてくださるお方は主イエス・キリストだけです。だから私たちも、「この名」を喜んで呼び続ける。「この名によるほか救いなし」と、堂々と大胆に、臆することなく自由に、証言し続けます。「私たちを救い得る名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていない」、「この名によって歩いている私たちを見てください」と、証言しながら歩いていくのです。