2023年9月17日 主日礼拝説教「心を一つにして共に集う」 東野尚志牧師

イザヤ書 第55章1-5節
使徒言行録 第2章43-47節

 きょうは、礼拝に引き続いて、午後には、教会全体修養会の振り返りを行います。「礼拝共同体としての教会―主にある交わりの再建―」という主題で、2泊3日の修養会を開催してから、ほぼ一か月になります。泊まりがけの修養会は4年ぶりのことでした。コロナ明けと言いたいところですが、なおも不安が残る中、参加者は26名に留まりました。最初の主題講演から全部を聞いた人は20名を切っています。けれども、修養会で語られた言葉をほぼ網羅するような44頁立ての記録が、先週の日曜日に発行されました。きょうの振り返りに間に合うようにと、書記部の方たちの大変なご労苦によって、『椎の樹』の修養会特集号が作成されたのです。
 滝野川教会において、かつて夏の教会全体修養会は、霊的総会と呼ばれていました。修養会で学び、共に考え、語り合ったことを、ただ参加した人たちだけの経験に留めておくのではなくて、教会全体で修養会の学びを振り返りながら、恵みを分かち合いたいと願っています。そして、この学びと経験を共有することによって、コロナ後の教会の歩みを進めて行くための基礎固めをしたいのです。修養会に参加した人たちはもちろんですけれども、参加できなかった方たちも、ぜひ、振り返りと分かち合いの会に出席していただければと願っています。

 普段の礼拝では、ヨハネによる福音書の御言葉を区切りながら、続けて読んでいます。今月の振起日で3年目に入ることになります。しかしきょうは、「教会」を主題とした修養会とのつながりを覚えて、ヨハネによる福音書を離れて、使徒言行録から聖書の御言葉を読みました。使徒言行録の第2章には、主イエス・キリストの十字架と復活の出来事から50日を経て、約束の聖霊が降り、地上に教会が生まれたことが記されています。そして、その第2章の結びのところに、最初の教会の様子が描かれているのです。言ってみれば、ここにキリストの教会の原型があります。教会とは何であり、教会とは何をするのか、ということを考えて行くときに、その原点となる最初の教会の姿が描かれているのです。
 二千年の教会の歴史において、教会の改革が叫ばれるとき、いつでも、源泉に帰ること、聖書に帰ることが説かれてきました。私たち滝野川教会が受け継いでいるディサイプルス教会の流れもまた、教会改革の運動の中から生まれました。アメリカの長老教会が、教派的な伝統を重んじるあまりに、いわゆる教派主義に陥り、教理の解釈の違いによって教会が分裂し、対立していく中で、原点に帰ろうとしたのです。ディサイプルス教会を始めた人たちは、主の教会は教派の違いによって分かれることなく、一つでなければならない、と考えました。そして、教派的な分裂のきっかけになる信仰箇条を採用せず、「我はキリストの弟子なり」という一点に立とうとしたのです。そのために、聖書、特に新約聖書を重んじることを根本的な理念としました。

 先ほど朗読した聖書の個所、使徒言行録第2章43節から47節までの段落には、「信者の生活」という見出しが付けられています。口語訳聖書を読んでいたときには、こういう見出しはありませんでした。新共同訳聖書において初めて見出しが採用されて、聖書協会共同訳でもそれを継承しています。聖書を区切って、内容を大づかみにしながら、流れをたどって行くのに便利です。特に、旧約聖書の物語を読んで行くときには、大いに参考になります。けれども、聖書のもとの原文に、見出しがついているわけではありませんから、気をつけなければなりません。余り見出しの言葉に囚われる必要はないのです。内容を理解するための参考程度にとどめるのがよいのではないかと思います。
 そうは言いましても、使徒言行録第2章の最後に記されているのは、まさしく、見出しの通り「信者の生活」と言ってよいと思います。最初の教会の信徒たちが、どんなふうに教会の生活をしていたか、という非常に興味深い記録が留められているのです。突然、天から聖霊が降るというペンテコステの出来事によって、教会は華々しく誕生しました。その教会が、以後、日常的にどのような生活をしていたか、ということを描いています。聖霊を豊かに注がれた教会、そして、聖霊降臨の出来事の意味を力強く説き明かしたペトロの説教に導かれた教会が、その恵みを受け止めて、どのような生活を築いていたか、ということを描くのです。その意味では、むしろ、見出しによる区切りを超えて、直前の42節から続けて読んだ方がよいのかもしれません。後から掲げられた見出しではなくて、むしろ、42節の本文自体が、見出しのような役割を果たしていると言ってもよいのです。初代教会、最初の教会の生活について、短い言葉で、端的にまとめています。「そして、一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、交わりをなし、パンを裂き、祈りをしていた」。

 ペンテコステによって生まれた教会は、決して霊に浮かされた熱狂集団のようなものではありませんでした。そのことは、第2章の前半の記録を読めば、よく分かります。聖霊を注がれ、聖霊に満たされた使徒たちは、さまざまな国の言葉で、神の偉大な業を証ししたのです。周辺のいろいろな国から出て来て、さまざまな社会的背景を持つ者たちが集まっているところで、そのそれぞれの人たちにきちんと通じる言葉で、神の救いの御業が証しされました。それは明らかに、単なる霊的熱狂集団とは違います。
 聖霊降臨の出来事に続いて、使徒ペトロが、かなり長い説教をしたことが記されています。ペトロは、他の十一人の使徒たちと一緒に立ち上がって、いわば十二人の使徒団を代表するようにして、説教しました。これもまた、ペンテコステの教会が、理性を失った恍惚状態の集団ではなかったということをはっきりと示しています。ペトロは旧約聖書の預言の言葉を手がかりにしながら、イエス・キリストの十字架と復活による救いを、預言の成就として語りました。神さまのご計画の実現として、力強く証ししたのです。ペトロはその説教の結びにおいて、宣言しています。第2章の36節です。「だから、イスラエルの家はみな、はっきりと知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」。
 聞いていた人たちが、大いに心を打たれて、自分たちは何をすべきか尋ねると、ペトロは人々に、悔い改めて洗礼を受けることを強く求めています。その日のうちに、三千人ほどの人たちが洗礼を受けて、教会の仲間に加わったというのです。この一日のうちに、一挙に膨れ上がった群れは、決して、無秩序な集団ではありませんでした。はっきりとした一つの形をとっています。その姿が、42節にくっきりと描かれるのです。「そして、一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、交わりをなし、パンを裂き、祈りをしていた」。

 この42節において、「ひたすら」と訳されているもとの言葉は、「固着して離れない」、「しっかりと結びつく」という意味の言葉です。つまりペンテコステの教会は、ひたすら守り続けるものをもっていた、ということです。浮かれてふらふらと、どこかへ飛んでいってしまうのではなくて、むしろ、しっかりと固着して離れない、そういう確かな中心、核となるような基盤をもっていたということです。その内容が、ここに四つ挙げられています。第一の「使徒たちの教え」、これは聖書の言葉の説き明かし、と言ってもよいと思います。信じるべき内容が明確に説かれたということです。この使徒たちの教えが、教理の言葉になっていくのです。そして二つ目は「交わり」、これは聖書の言葉を中心とした交わりであり、その内容は、続く三つ目の「パンを裂き」という言葉によって描かれます。
 もちろん、ここで「パンを裂く」というのは、初めの頃は、食事の交わりを含めた全体を指していたのかもしれません。後のところでも出て来るように、原始キリスト教会は、生活を共にする共同体として、一つのコミュニティとして機能していたということが分かります。財産も共有する、いわゆる共産制の交わりです。しかし、やがて、教会がさらに形を整えていく中で、いわゆる「愛餐」と「聖餐」が分離されるようになります。食事の交わりとしての愛餐と、主の晩餐をなぞるように行う聖餐とがはっきりと分けられていくのです。すると、「パンを裂く」というのは、特に聖餐の交わりを表す用語として用いられるようになります。最初から、そこに重点が置かれていたのです。最初の教会を特徴づけていた「交わり」というのは、ただ単に人間的に親しくなって仲良く過ごしていたということではなくて、礼拝における聖餐を通して、一つの恵みの糧に共に与ることによって生み出される交わりであったということです。
 そして、四つ目に記されるのが「祈り」です。ペンテコステの教会は、熱心にひたすら祈ることによって、真実に、「天」とつながっている群れでした。共にいてくださる聖霊を通して、しっかり、神とつながっている群れであったのです。以上の四つの内容を一つにまとめて言ってみれば、ペンテコステの日に生まれた最初の教会は、ひたすら礼拝する群れであったということです。教会は、聖書の説き明かしとしての使徒の教えに固着し、聖餐によって養われ、熱心に祈る群れとして整えられました。礼拝に生きる交わりとして形づくられて行ったのです。

 そのような教会の姿を描いていくときに、43節以下の短い段落の中で、繰り返されている大事な言葉があります。「一つになって」という言葉です。44節には、「信じた者たちは皆一つになって」と記されています。46節にも、「毎日ひたすら心を一つにして神殿に集まり」とあります。最後の47節には、「主は救われる人々を日々仲間に加えてくださったのである」と記されています。実は、ここでは日本語に訳されていませんけれども、44節で用いたのと同じ言葉が記されています。それをはっきり訳して言えば、「主は救われる人々を日々仲間に加えて一つにしてくださったのである」となります。最初の教会の信徒たちは、「一つになって」歩んでいた。心を一つにして生きていたということが、強調されているのです。そのようにして、心を一つにして、生き生きと歩む群れであったからこそ、日々、新たに救われる人々が仲間に加えられていったと言ってもよいと思います。
 もしも、現代の教会が、最初の教会のような力強い伝道をなし得ていないとすれば、あるいはまた、日々新たな人たちを迎え入れて行くような生き生きとした歩みを作り得ていないとすれば、私たちが、本当の意味で、「一つになって」いないところに原因があるということかもしれません。同じ一人の主を信じ、同じ救いの恵みにあずかっているにもかかわらず、なかなか一つになることができない。心を一つにすることができずにいる。私たち自身がそのような状態であるならば、そこに新しい人が日々仲間に加えられて一つになることを望むのは無理です。もちろん、47節で、「主は救われる人々を日々仲間に加えてくださった」とあるように、救われる者を起こし、加えてくださるのは、主ご自身の御業です。しかしまた、そうであればこそ、私たち一人ひとりが自分の正しさを主張して、ぶつかり合い、バラバラになるのではなくて、ただ一人の主なる神の前にへりくだって、お互いが自分を低くすることによって、主ご自身の御業として、一つに結ばれていくのです。

 ペンテコステの教会は、皆が心を一つにして礼拝し、一日に三千人の受洗者を迎え入れるほどに、力ある伝道を展開して行きました。使徒言行録は、その秘密を、はっきりと描いています。43節に、こう記されています。「すべての人に恐れが生じた」。「すべての人」というのは、直訳すれば、「すべての魂」と書いてあります。人間の上っ面ではありません、その存在の奥深く、魂の深いところに、恐れが生じたのです。ただ信者だけではなくて、まだ信仰を持っていない者たちの魂にも、恐れが生じたのです。ペンテコステにおいて生まれた教会は、恐れを知る群れであった。力強く伝道する教会は、恐れを知っている者たちの群れであったというのです。
 ここで言う「恐れ」とは何でしょうか。この世には、さまざまな恐れがあります。私たちは、いろいろな恐れや不安に取り囲まれるようにして生きています。大雨による洪水や地震の被害に対する恐れもあれば、核戦争に対する恐れもあります。病に対する恐れもあります。究極の恐れは、死に対する恐れでしょう。恐れが募れば、生きる力が失われ、望みも奪われます。けれども、ここで聖書が描いている恐れは、そのようにして、私たちの命をむしばみ、恐怖に震えさせるような恐れではありません。主なる神が、自分たちの間に、生きて働いておられるという事実に対する恐れです。「畏敬の念」と言い換えてもよいと思います。
 「おそれ」というときにも、畏れかしこむ、「畏敬」の「い」の字を用いた方がふさわしいかもしれません。「すべての人に畏れが生じた」。すべての人に、主なる神の現臨に対する畏敬の念が生まれたのです。生まれたばかりの教会の群れの中に、神がおられる。神は、エルサレムの神殿の聖所の中に潜んでおられるのではなくて、礼拝する教会の中に生きておられる。ここに、最初の教会の伝道力の秘密があるのではないでしょうか。

 ペトロと並ぶもうひとりの使徒、異邦人のための使徒となったパウロは、さまざまな問題を抱えたコリントの教会に宛てた手紙の中で言いました。「教会全体が一か所に集まって、皆が異言を語っているところへ、初心者か信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変になっていると言うでしょう。しかし、皆が預言しているところへ、信者でない人か初心者が入って来たら、その人は皆から問いただされ、皆から批判されて、心の秘密が暴かれ、そのあげく、ひれ伏して神を拝み、「まことに、神はあなたがたの内におられます」と言い表すことになるでしょう」(1コリント14章23~25節)。最初の教会で起こったのも、まさにこのことだと思います。「まことに、神はあなたがたの内におられます」。礼拝する教会の群れのただ中に、神が生きて働いておられることを知らされ、自らもまたこの神の前に、畏れをもって、ひれ伏すものとされるのです。
 確かに、使徒言行録の分脈においては、「すべての人に恐れが生じた」と記したすぐその後に、次のように続けています。「使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである」。うっかり読むと、驚くべき奇跡が行われたので、周りの人たちはびっくりして恐れたのだ、というふうに受けとめられるかもしれません。しかし、それは読み方が浅いと思います。ここに「しるし」と書かれていることが大事です。内容的には、この後、第3章に記されているような癒しの奇跡であったかもしれません。生まれつき足の不自由な人が、癒されて歩けるようになった。それは確かに、驚くべき奇跡です。しかしそれは何よりも、イエス・キリストご自身が、霊において使徒たちと共におられ、使徒たちを通して御業を行っておられることのしるしです。キリストの臨在を証しするしるしなのです。

 それならば、と問う人があるかもしれません。今日の教会においては、重い病が癒されるというような目覚しい奇跡の業が行われなくなったから、キリストの臨在に対する畏れも、失われてしまったのではないか。しかし、目に見える病の癒しにだけに心奪われると、そこで起こっている出来事の真実を見逃し、見過ごしてしまうのではないかと思います。ペトロはあの日、何を語ったのでしょうか。「だから、イスラエルの家はみな、はっきりと知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」。ペトロは、聞いている者たちの罪を、くっきりとえぐり出しました。人々に、自分の罪と向かい合うことを求めました。その上で、「私たちは何をすべきでしょうか」と問う人たちに、語りました。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、聖霊の賜物を受けるでしょう」(2章38節)。私たちの罪は赦されなければならない。いや、イエス・キリストの十字架と復活によって、私たちの罪は赦されている、ペトロはそう語ったのです。
 教会は、聖霊を注がれることによって、主イエス・キリストご自身の権能を託されました。罪の赦しを告げる権能を託されました。あるとき、主イエスは、体が麻痺して寝たきりの人に対して、「あなたの罪は赦された」と言って、罪の赦しを宣言されました。そのとき、それを聞いた律法学者たちはつぶやいて言いました。「神を冒瀆するこの男は何者だ。罪を赦すことができるのは、ただ神だけだ」(ルカ5章17~26節)。学者たちの批判の言葉には一面の真理があります。確かに、罪を赦すことができるのは、ただ神だけです。主イエス・キリストは、神と等しい方として、いや自ら神である方として、神としての権威をもって、罪の赦しを宣言されました。そして、それが、決して空しい言葉ではないしるしとして、自ら十字架の上で、私たちすべての罪を引き受けて死んでくださったのです。十字架と復活の主であるからこそ、権威をもって、罪の赦しを宣言してくださいます。そして今や、罪の赦しを語る務めは、聖霊の力と共に、教会に託されました。教会が、罪の赦しを宣べ伝えるとき、霊なる主ご自身が、その教会の言葉を通して、力強く働いてくださるのです。

 主の臨在を信じないことに対する最大の罰は、主ご自身がその群れから離れてしまわれることだと言われます。そうして、役に立たない、味を失った塩のように、主に見捨てられた群れは、主以外のあらゆるものによって、自分を満たそうとします。主がおられない空虚さを、人間の言葉と人間の業によって埋めるしかなくなるのです。人間的な知恵の言葉や道徳的・倫理的な愛の業で、自分たちを満たそうとします。しかし私たちは、今、目には見えなくても、神の言葉において、すなわち御言葉の説教と聖餐において、霊なる主が共にいてくださる恵みによって満たされます。霊なる主を仰ぎ、主に対する正しい畏れの心を整えられて、主に結び合わされた交わりの中に生きるものとされるのです。二千年前のペンテコステ以来、主の教会は、使徒言行録第2章46節に記されているように、「喜びと真心をもって」神を賛美する礼拝に生き続けるのです。
 ある人が言いました。「主を恐れる心に生きることは、神をまことの神として知り、まことの神が共におられるその臨場感に生きること」。まことの神が共におられる。まことに、神が私たちと共におられる。その臨場感です。私たちの救い主であり、教会のかしらである主イエスを、今、生きて、私たちの間に働かれるお方として、その現臨において深く受け止めながら、主の権威のもとで、主の御前に一つになって、喜びと賛美に生きる。そのように礼拝する神の民の姿こそが、主にある交わりの豊かさを知らない、この世に対する証しとして用いられます。主の日の礼拝においてこそ、私たち教会は、その霊の命と伝道力を増し加えられるのです。主の御前に集い、主の恵みに共にあずかる礼拝の中から、私たちの新たな歩みを始めたいと願います。