2023年6月25日 主日礼拝説教「主イエスを見る」 東野尚志牧師

イザヤ書 第42章18-20節
ヨハネによる福音書 第9章35-41節

 先週一週間、私にとって、聖学院とのつながりを深く受けとめる出来事が続きました。火曜日の朝には、聖学院中学高等学校に出かけて、約900名の生徒たちを前に、朝の全校礼拝で説教をしました。翌日の水曜日、今度は反対に、聖学院中学校1年生の生徒たちを滝野川教会の礼拝堂に迎えて、教会での礼拝体験をしていただきました。続く木曜日の夕方には、聖学院小学校のチャペルで、ASF、オール聖学院フェローシップの総会と推進委員会が行われ、私は開会礼拝のメッセージを担当しました。そして、金曜日の夕方には、4年ぶりに開催された「教会と聖学院との懇談会」に出席をするため、聖学院幼稚園のホールに出かけました。私としては、さしずめ、聖学院ウィークといった趣の一週間を過ごしたのです。
 聖学院と滝野川教会の関係については、改めて、申し上げる必要はないと思います。聖学院は今年、創立120周年の記念の年を迎えています。今から120年前、1903年、東京の本郷に、聖学院の最初の学校として、伝道者養成の神学校が設立されました。その翌年、神学校が現在の聖学院の場所に移転するのに合わせて、学校の中に教会が生まれました。それが、滝野川教会の始まりです。私たちの教会は1904年に礼拝を開始して、今年119周年ということになります。その後、滝野川教会は、学校から外に出るという大きな決断をして、町の教会になりました。一時は、学校と教会の関係が微妙な具合になった時期もあるようですけれど、キリスト教信仰に基づく教育と伝道の働きのために、聖学院と滝野川教会は今日まで、協力関係を続けているのです。

 聖学院の中学1年生による教会での礼拝体験は、今週の水曜日にも行われます。150名を超える生徒たちが一度に礼拝堂に入るのにはまだ不安が残りますので、全部で5つある中1のクラスを2つに分けて、先週の水曜日は、2クラス62名が集まって礼拝をしました。今週の水曜日には、残り3クラス96名での礼拝をすることになります。先週は、60名ほどのこぢんまりとした人数が、気楽であったのかもしれません。礼拝の後の質問コーナーでは、次々に手が挙がってびっくりしました。納本されたばかりの、真新しい講壇用の金ぴか聖書についての質問もあったりしてとても愉快でしたが、最初に出た質問が、私にはとても興味深いものでした。正確な表現は忘れましたが、「教会って何なんですか」という、教会の本質を問うような質問が出たのです。私はとっさに、宗教改革者が掲げた教会のしるしを思い浮かべながら、御言葉の説教と聖礼典、すなわち洗礼と聖餐を行うのが教会の大事な働きであることを伝えました。最後の洗礼槽見学にもつながり、よい流れになったのではないかと思いました。
 その質問に答えながら、感じたことがあります。確かに、聖学院に入ったばかりの1年生にとって、教会での礼拝を体験するというのは、とても大事なことだと思います。けれども、学校でも毎朝、礼拝をしているのです。一つの場所に集まって、聖書が読まれ、聖書が説かれる。一緒に讃美歌を歌い、祈りを合わせる。基本的な礼拝の流れは共通しています。それならば、学校の礼拝と教会の礼拝とどこが違うのか。生徒たちにとって、学校の礼拝説教は5、6分ですけれども、教会の主日礼拝説教は30分以上。集中して聞くのは難しいかもしれません。これは中学生だけではなくて、大人も同じかもしれません。学校の礼拝と教会の礼拝、時間の長さだけでなく、そのほかいろんな違いがあるとしても、やはり一番の急所は、洗礼と聖餐にあるのだと思います。御言葉を宣べ伝え、洗礼を授け、聖餐を祝うことが、教会の礼拝の大事な使命だと言ってよいのです。
 学校の礼拝においても、聖書が読まれ、聖書に基づく話がなされるのですから、キリスト教の精神や信仰が伝えられます。キリスト教的な人格形成を求めて、学びの姿勢が整えられます。広い意味で、キリスト教的な文化の形成にもつながります。学校の礼拝も教会の礼拝も、神を賛美し、神に栄光を帰するという礼拝の本質は同じだと思います。けれども、教会の礼拝には、そこに連なる者たちに対する、明確な信仰への促しがあります。信仰の応答が求められます。主イエスに対する信仰を言い表して、洗礼を受け、聖餐にあずかる者となるように招かれているのです。

 ヨハネによる福音書の第9章には、生まれながら目の見えなかった人が、主イエスによって癒やされ、目が見えるようになった物語が記されています。先ほど朗読した福音書の箇所は、その物語全体の結びにあたります。そこには、癒やされた本人が、主イエスに対して信仰を言い表す場面が描かれていました。主イエスが、癒やされた人に「あなたは人の子を信じるか」と問われます。問われた男は答えました。「主よ、それはどなたですか。その方を信じたいのですが」。主は言われます。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ」。それを聞くと、癒やされた男は「主よ、信じます」、そう答えて、ひれ伏した、というのです。「ひれ伏す」と訳されている言葉は、「礼拝する」とも訳される言葉です。主イエスによって癒やされた人は、「主よ、信じます」と答えて、主イエスを礼拝したのです。この人は、主イエスによって、生まれつき光を見ることのなかった目を開いていただきました。それは、ただ肉体の目が開かれた、というだけではなくて、信仰の目が開かれる体験であったということを、印象深く描いています。開かれたその目で、「人の子」という特別な称号で呼ばれる救い主として、主イエスを見たのです。
 実は、この場面について、多くの人たちが指摘をしています。ここには、ヨハネによる福音書が書かれた頃の、教会における洗礼の様子が映し出されている、というのです。その頃、ヨハネの教会で、洗礼を受けて教会員になるときに、教会からこれと同じような問いかけがなされ、それに答えて信仰を言い表した者たちが洗礼を受けたのではないかと言われます。それは、何を意味しているのでしょうか。ヨハネは、確かに、主イエスがかつて地上を歩まれたとき、弟子たちに教えられたこと、また弟子たちの間でなさった不思議なしるしをまとめて、福音書として記しています。主イエスのご生涯の物語としてまとめているのです。けれども、それは、決して、単なる過去の出来事の記録として綴られているわけではありません。なぜなら、主イエスは生きておられるからです。主イエスは、決して、過去の人ではないからです。生まれながら目の見えなかった人に目をとめて、その人を癒やし、目を開いて、信仰へと招かれたお方は、1世紀末のヨハネの教会においても、迫害に苦しむ者たちのもとに訪れてくださり、「あなたは人の子を信じるか」と問いかけながら、信仰の告白を求めておられるのです。洗礼を受けて、キリストのものとして新しく生まれる救いへと招いておられるのです。そして、二千年の時を経て、今、この福音書を読んでいる私たちに対しても、主は同じように呼びかけておられるのだと思います。

 35節に「イエスは彼が外に追い出されたとお聞きになった」と記されています。前の段落を見ると、主イエスによって目を開かれた人は、ファリサイ派の人々の前に引き出されて、厳しい尋問を受けたことが描かれています。生まれつき目が見えなかったこの人は、最初、主イエスのことを何も知りませんでした。主イエスが誰であり、どのような方であるか、何も知らなかったのです。ただその方は、ご自分の唾で泥を作り、それをこの人の目に塗って、「シロアムの池に行って洗いなさい」とおっしゃいました。言われた通りにすると目が見えるようになったのです。ところが、この日が安息日であったために、安息日の掟に違反したということで、癒やされた人がファリサイ派の人たちの前に引き出されて、取り調べを受けることになりました。最初は、「イエスという方」というようなあいまいな言い方しかできませんでしたけれども、ファリサイ派の人たちの尋問に答えていく中で、「お前はあの人をどう思うのか」と問われて、「預言者です」と答えます。さらに、二度目に厳しい尋問をうけたときには、主イエスは、神のもとから遣わされた方であると証しします。ファリサイ派の人たちが、安息日の律法を破っている主イエスは罪人であり、神から来た者ではないと断言したのに対して、この人は、神のもとから来られたのでなければ、生まれつき目が見えなかった自分を見えるようにできたはずがない、と答えたのです。それを聞くと、ファリサイ派の人たちは腹を立てて、この人を外に追い出してしまいました。
 外に追い出したというのは、ただ、尋問を受けていた裁きの場所から外に追い出された、というだけのことではありません。少し前の22節に、「ユダヤ人たちはすでに、イエスをメシアであると告白する者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである」と記されています。「会堂から追放する」、それはユダヤ人の共同体から追い出すということです。社会的な死刑宣告に等しいような厳しい裁きでした。主イエスによって癒していただいた人は、主イエスのことを神のもとから来られた方だと証ししたために、ユダヤ教の会堂から追放されることになったのです。実際には、この会堂追放という厳しい取り決めがなされたのは、ローマ帝国との戦いでエルサレムが陥落し、神殿が破壊された紀元70年よりも後のことだと言われます。神殿という信仰の拠り所を失って、ユダヤ教は、いよいよ、律法を厳格に守ることで、信仰に堅く立つことを求めました。そうなると、律法を重んじていないように見えるユダヤ人キリスト者の存在は目障りであり、会堂から追放するという厳しい措置が取られるようになったのです。つまりここでも、ヨハネは、1世紀末の自分たちの教会が直面していた迫害の状況を、主イエスの物語の中に重ね合わせているのです。
 ところで、先ほど読んだ35節には、後半の言葉が続いています。「イエスは彼が外に追い出されたとお聞きになった。彼と出会うと、『あなたは人の子を信じるか』と言われた」。ここで「出会う」と訳されているもとの言葉は「ヘウリスコー」という動詞です。この動詞の完了形は「ヘウレーカ」と言います。古代ギリシアの哲学者アルキメデスが、お風呂に入ったときに、いわゆる「アルキメデスの原理」を発見して、叫んだ言葉だと伝えられます。興奮して「見つけた」「見つけた」と叫んだのです。この「ヘウレーカ」という言葉、英語になると最初のhの発音が落ちて、「ユリーカ」と言われたりします。カタカナの表記にはかなり揺れがあって、「ユリイカ」という雑誌の名前になったりもしています。要するに、この言葉のもともとの意味は、「見つける」ということです。主イエスは、たまたま出会ったのではありません。ご自身の癒やしを経験した人が、会堂から追放されたと聞いて、わざわざこの人を探して、見つけ出し、出会ってくださったのです。ヨハネは、このような主のお姿を描くことで、自分の教会の仲間たちを励まそうとしているのだと思います。主イエスへの信仰のゆえに、ユダヤ教の共同体から追い出され、迫害の苦しみに耐えている者たちを、主は決してお見捨てになりません。悩み苦しむひとりを探し、見つけ出して、その信仰を堅く支えてくださるのです。

 「主よ、信じます」。癒やされた人が、主イエスに対する信仰を明確に言い表し、ひれ伏して主を拝んだとき、主はそれに答えるように言われました。「私がこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」。「私がこの世に来たのは、裁くためである」という言葉を聞くと、私たちは不安を覚えるかも知れません。ヨハネは同じ福音書の3章17節に記していました。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」。そこでは、裁くためではない、と言われていたのに、ここでは、裁くために来た、と言われています。矛盾しているようにも聞こえます。けれども、裁くためではない、と告げた後、ヨハネは続けて記しています。「御子を信じる者は裁かれない。信じない者はすでに裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇を愛した。それが、もう裁きになっている。」(ヨハネ3章18~19節)。 聖書の中で、「裁く」とか「裁き」と訳されている言葉のもともとの意味は「分ける」ということです。主イエスが来られたことによって、私たちは、分けられるのです。主イエスを信じる者と、主イエスを信じない者に分けられます。そのどちらかです。中間はありません。主イエスを信じて罪赦され、救われる者と、主イエスを受け入れず自らの罪のゆえに滅びる者とが分けられます。もしも、主イエスを無視するのなら、それも、受け入れない者に含まれることになります。あるいは、主イエスが来られたのに気付かないとすれば、その時点では、自らの罪のゆえに滅びるしかありません。いずれにしても、私たちのところにやって来られた主イエスに対して、信じるか、信じないか、そのどちらかに分かれることになります。その分かれること、分けられることが、主イエスを受け入れず、滅びる者にとっては、裁きになるのです。この裁きを、主イエスは、印象深い言葉で現されました。「こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」というのです。

 確かに、生まれつき目の見えなかった人が、癒やされて見えるようになりました。しかも、ただ肉体の目が開かれたというだけではなくて、自分を罪の闇の中から救い出してくださった救い主である主イエスを見ることができるようになりました。主イエスと出会い、主イエスを信じる者とされたのです。そして、洗礼を受けて、教会のひと肢として新しい命を得た。キリストの体である教会の中に加えられ、その部分として、主ご自身のお働きに仕える者とされるのです。しかし、その反面、見えるつもりであった者たちは、見えないようになるという逆転が起こります。自分は見えると思っているなら、当然、見えるようになりたいとは願わないでしょう。主イエスに、目を開いてもらう必要など感じません。主イエスに頼らなくても、主イエスに救ってもらわなくても、自分はちゃんと見えている。自分はちゃんと生きていける、そう思っているなら、本当に大事な救いが見えなくなるのです。
 主イエスは、自分たちはすべて見えているという誇りに生きていたファリサイ派の人たちに言われました。「見えない者であったなら、罪はないであろう。しかし、現に今、『見える』とあなたがたは言っている。だから、あなたがたの罪は残る」(9章41節)。「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」。不思議な言葉です。しかし、私たちではなく、主イエスが、私たちを見つけ出し、私たちと出会ってくださるとき、私たちには、自分の罪深さも自分の内なる闇も本当には見えていなかったことに気付かせられるのではないでしょうか。主イエスが私たちを見つけだし、私たちと出会ってくださるとき、私たちは初めて、主イエスの光に照らされて、見えるようになるのです。「主よ、信じます」と告白し、洗礼を受けて、主の前にひれ伏すとき、見えない者が見えるようになります。道徳的な模範や感覚的な満足を越えた、救い主としての主イエスのお姿が見えるようになる。私たちを罪の支配から救い出すために、ご自分の命を犠牲にして、十字架にかかってくださった救い主のお姿が見えるようになります。そして、その十字架の主のお姿の中に、復活の主の栄光のお姿が、重なり合うようにして見えるようになります。主の日の礼拝において、私たちの信仰の目が開かれるとき、私たちの前に備えられた、聖餐のパンとぶどう液の中に、主の恵みと救いが見えるようになるのです。

 聖学院の学校における礼拝が、キリスト教世界の裾野を広げるようにして、キリストへの道を開き、信仰への道を備えていくのをしっかりと受けとめながら、教会の礼拝において、主イエスと出会い、主に向かっての信仰を言い表し、主の救いにあずかる者となることができますように。私たちが探し、私たちが見いだすよりも先に、主が私たちに目をとめ、私たちを見つけ出してくださいました。「ヘウレーカ」「見つけた」と叫んで、主が喜んで私たちと出会ってくださいます。主に見いだされ、主と出会い、主の救いにあずかって、主を喜び、主を賛美する。私たちは今、そのような救い主との深い交わりの中に招き入れられ、共に、救いの恵みにあずかっているのです。