2023年10月29日 宗教改革記念礼拝説教「イエスは涙を流された」 東野尚志牧師

詩編 第33編12~22節
ヨハネによる福音書 第11章28~37節

 お手元の週報を開いてご覧いただきますと、礼拝順序の頭のところに「滝野川教会宗教改革記念礼拝」と記してあります。プロテスタント教会では、10月31日を宗教改革記念日としています。今から506年前、1517年の10月31日、ドイツの修道僧であったマルティン・ルターは、当時のローマ・カトリック教会の教えに対する問題提起として、『九十五箇条の提題』を公にしました。伝えられるところによれば、その日、ヴィッテンベルクの城の教会の扉に、この問題提起の文書を貼り出したとも言われます。そこから、改革運動に火がついたのです。カトリック教会においては、むしろ、翌日の11月1日を、諸聖人の日として大切に祝います。カトリックの国では休日になっているくらいです。けれども、プロテスタント教会は、宗教改革の口火が切られた10月31日を大切に記念します。そして、この日に近い10月最後の主日に宗教改革記念礼拝を行っているのです。
 ちなみに、さいたま上尾にある聖学院大学は、プロテスタントの信仰に立つ大学であることを明確に現わして、宗教改革記念日である10月31日を、大学設立の記念日としています。1988年の設立ですから、今年で35年になります。コロナ以前は、毎年10月には、特別な記念講演会や記念音楽会が開催されていました。今年はそれに重ねるようにして、学校法人聖学院の創立120周年のお祝いが企画されました。昨日の土曜日、聖学院大学のチャペルにおいて、120周年の記念式典ならびにパイプオルガン奉献式と記念音楽会が行われました。私もそこに参加しながら、改めて、120年という時の長さを思いました。それはすでに、一人の人が生きることのできる長さを超えているのです。
 今から120年前、主イエスの召しを受けた宣教師が、一人でも多くの日本人に、主の恵みと救いを伝えたいと願って、神学校を設立しました。それが今に続く聖学院の歴史の始まりです。その宣教師の信仰と理念を受け継ぐようにして、数多くの人たちが聖学院の歴史に関わり、その使命を担い、そして、後に続く者たちに託して行きました。それは、肉体の死によって限界づけられた人間の思いや志が、一人の人の生涯を超えて生き続けていくことだと言ってよいかもしれません。けれども、理念だけが一人歩きするのではありません。先達の信仰と志が、後に続く者たちに受け継がれていく中で、その営みの全体を意味あるものとして守り支えてくださっているのは、主イエス・キリストです。キリストという土台がしっかりと据えられているからこそ、主ご自身が、その使命を担う者たちを、途切れることなく起こしてくださいます。さまざまな出会いを通して、究極的には、生ける主イエス・キリストご自身との出会いを通して、主の召しを受けた者たちが、その歴史を担い、歴史を築いてきたのです。

 福音書の中には、主イエスが語られた教えや主イエスがなさった不思議な業が数多く記されています。それは、実際に主イエスと出会い、主イエスの言葉を聴き、主イエスの業を見た人たちが、その体験と信仰を伝えてくれたからです。主イエスと出会った人たちは、自分たちが見聞きしたことを、一人でも多くの者たちに伝えたいと願い、聞いた者たちがそれを書き留めてくれました。それがやがて聖書となって、二千年の時を超えて、私たちにも、生ける主イエスのお姿を生き生きと伝えてくれます。私たちは、聖書の物語を通して、生ける主と出会うことができるのです。聖霊なる神が働いてくださるとき、聖書は昔々の出来事の記録という枠組みを超えて、私たちに語りかけてきます。聖書の物語を通して、主イエスが私たちと出会ってくださり、私たちに語りかけてくださいます。そして、主に従い行く決断を求められるのです。
 主イエスは、死んだラザロの姉妹であるマルタに向かって言われました。「あなたの兄弟は復活する」。兄弟ラザロの死という厳しい出来事に打ちのめされているマルタは、それを現実のこととして受けとめることができません。ファリサイ派の教師たちが伝えている信仰の教えに基づいて、答えました。「終わりの日の復活の時に復活することは存じています」。マルタにとって、それは、今ではないのです。今は、ラザロの死という事実が動かしがたい現実としてマルタを捕らえていました。けれども、主はさらに続けて、マルタに言われました。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか」。「あなたはこのことを信じるか」。主イエスから迫られて、マルタはとっさに答えました。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであると私は信じています」。主は、この物語を通して、マルタに問われただけではなく、今、これを読んでいる私たち一人ひとりにも問うておられます。復活であり、命である主イエスご自身が、私たちと出会ってくださるのです。

 ところで、主イエスと言葉を交わした後、マルタは姉妹のマリアを呼びに行きました。以前、主イエスのご生涯を描いた外国の映画を見ていたとき、日本語の字幕で、マルタの方が「妹」として訳されているのを見て、おやと思ったことがあります。私たちは、ベタニア村の一家について、いつの間にか、マルタが姉でマリアが妹、そして、ラザロはこの姉妹の弟、というふうに理解をしているのではないかと思います。確かに、ルカによる福音書の第10章の記事を見ると、口語訳聖書では、マリアについて語られている言葉を「妹」と訳していました。聖書協会共同訳でも、教会備え付けの版でルカによる福音書10章の39節と40節を見ると、マリアは「妹」と訳されています。けれども、一番新しい版では、「姉妹」に変えられています。聖書の原文では、「姉妹」という言葉が用いられていて、マルタとマリアのどちらが年上であるかは、聖書本文からは決められないからです。何となく、聖書に描かれた立ち居振る舞いから、マルタはしっかりものの姉、マリアは少しのんびりした妹、そんな理解が染みついているかもしれません。しかし、もしかすると、姉の方がゆったりした性格で、妹の方がきびきびしていたのかもしれません。「姉」「妹」と呼ばずに「姉妹」としておくのが良さそうです。
 主イエスが来られたと聞いて、さっと立ち上がり、村の外まで迎えに出たのは、マルタの方でした。そして、主イエスと大事な言葉を交わした後、姉妹であるマリアを呼びに行きます。「『先生がいらして、あなたをお呼びです』と耳打ちした」というのです。「耳打ちした」というのは、なかなかうまい翻訳だと思います。原文を直訳すると、「小声で言った」と書かれています。姉妹たちを慰めに来ていたユダヤ人たちが周りにいました。マルタは、ほかの人たちに聞こえないように、マリアの耳元でささやいたのです。恐らく、マリアが一人でイエスさまのところへ行くのがよいと思ったからでしょう。自分もイエスさまと一対一で、大事な言葉を交わすことができた。愛するマリアにも、同じように主の言葉を聞いて欲しかったのだと思います。主イエスは、まだ村に入らずに、マルタが出迎えた場所で待っておられたのです。

 マリアは、家の中で座って、兄弟ラザロの死を嘆き悲しんでいました。主イエスが来られたと聞いて、マルタはすぐに立って迎えに行きましたけれど、マリアは動こうとしませんでした。けれども、主イエスが自分のことを呼んでおられるとの知らせを受けると、すぐに立ち上がって、主イエスのもとへ行きました。マリアが急に立ち上がって出て行ったので、姉妹を慰めに来ていたユダヤ人たちは、墓に行って泣くのだろうと勘違いして、後を追って行ったと言います。せっかくマルタが、主イエスと二人で話せるようにと、そっと耳打ちしたのに、うまくいきませんでした。しかし、ここで大事なことは、主イエスが自分を呼んでおられると聞いて、マリアが急いで立ち上がり、主イエスのもとへ出て行った、ということです。深い嘆きの中でうずくまるように、動くことのできなかったマリアが、主に呼ばれて立ち上がったのです。ここで「立ち上がって」と訳されているのは、復活を現わすときにも用いられる言葉です。打ちひしがれて、自分の力では立ち上がれないときにも、主が呼んでくださり、主が招いてくだされば、立ち上がることができるのです。
 本日の週報は、急に、教会員の逝去と葬儀のお知らせを記すことになり省かざるを得ませんでしたが、このところ続けて、洗礼志願の呼びかけを載せていただいています。クリスマスに向けて、「洗礼を志願される方、転入会を希望される方は、牧師までお申し出ください、準備会をいたします」と記されています。この案内を、主イエスが自分を呼んでおられる、主イエスからの呼びかけとして受けとめてくださる方があればさいわいであると思います。主が呼んでくださっているのです。立ち上がって、主イエスのもとに来ていただきたいと願っています。自分では立ち上がることができなくても、主イエスが呼んでくださるなら、マリアのように立ち上がって、主イエスのもとへ行くことができるのです。

 さて、村の外、主イエスがおられる所に来ると、マリアは、主イエスを見るなり、その足元にひれ伏して言いました。「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」。お気づきでしょうか。これは、マリアの姉妹であるマルタが主イエスを迎えに出たとき、真っ先に口にしたのと全く同じ言葉です。恐らく、マルタとマリアは、愛する兄弟ラザロの傍らにあって、死をも覚悟せざるを得ない重い病に伏せっているラザロを看取りながら、同じ思いを抱き、語り合っていたのかも知れません。「主イエスがもしここにいてくださったなら」。心に抱き続けていた思いが、主イエスの顔を見た途端、つい口をついて出たのではないかと思います。聖書が、それをわざわざ、全く同じ言葉で二度繰り返していることの意味は、決して軽くないと言わなければなりません。主イエスが一緒にいてくださったら、兄弟ラザロは死なずに済んだであろうに。それは言い換えれば、主が一緒にいてくださらなかったから、愛するラザロは死んでしまったという嘆きです。
 マルタとマリアの思いは、私たちにもよく分かると思います。私たちが本当に辛くて苦しいとき、悲しみに打ちのめされ、絶望しそうになるとき、主イエスはどこにおられるのか。そういう思いを抱くことがあると思います。主はいつでも一緒にいてくださり、私たちを守っていてくださるのに、それが分からなくなる、信じられなくなるのです。

 「あしあと」と題する詩を思い起こします。暗い夜空に、これまでの自分の人生が映し出されます。どこを見ても、砂の上に二人のあしあとが遺されています。一つは自分のあしあとであり、もう一つは主イエスのあしあとです。ところが、ふと目がとまります。それまで、二組ずつあったあしあとが、一つしかなくなっている。しかも、それは、自分の人生で一番つらく、悲しいときであった。そのことに心悩ませて、ついに主イエスにお尋ねします。「主よ、私があなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において私と共に歩んでくださると約束されました。それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。私が一番あなた必要としたときに、なぜあなたは私を見捨てられたのか、私には分かりません」。すると主イエスは、ささやくように答えられる。「私の大切な子よ、私はあなたを愛している。あなたを決して見捨てたりはしない。まして、あなたが苦しみと試練の中にあるときに。あしあとが一つだったとき、私はあなたを背負って歩いていたのだ」。ああ、イエスさまは私を背負って歩いていてくださった。だから、あしあとが一つだった。
 感動的な話として、多くの人に愛されている詩であるようです。しかし、感動して済む話ではないと、私は思います。主イエスがいつも共にいてくださり、主イエスが私を背負っていてくださったのに、そのことに気付かない鈍感さ、不信仰が問われます。この詩には、悔い改めの祈りが続かなければならないと思います。マルタとマリアの場合も同じではないでしょうか。愛するラザロの死を前にして、主が共にいてくださらなかったからこうなった、と思う。ラザロが助かるように必死に祈ったけれど、届かなかったと思って絶望する。確かに、主イエスは30キロ以上離れたところにおられて、目に見えるあり方では共におられませんでした。けれども、肉において離れているときも、主イエスはマルタとマリアと共に、またラザロと共におられたのです。そして、嘆き悲しむマルタとマリアに寄り添うように、共にいてくださった。そのことに気付かない。主が共にいてくださることを信じることができないのです。

 主イエスは、マリアが泣いており、一緒について来たユダヤ人たちの泣いているのをご覧になって、「憤りを覚え、心を騒がせ」られたと記されています。主イエスは、いったいなぜ、憤りを覚えられたのでしょうか。その場にいる人たちがみんな、ラザロの死という事実に打ちのめされ、悲しみ嘆いていたからです。主イエスが共におられたこと、そして、今も、共におられるということが、ラザロの死という現実に対して全く意味のないことであるかのように、主イエスが死に対して全く無力であるかのように、死の力に捕らえられ、死の支配の中に留まっていたからです。さらに言うならば、主イエスがここに、共におられるにもかかわらず、まるで、主がそこにおられないかのように力を振るい、人を悲しみと嘆きと恐れの中に閉じ込めてしまう死の力、悪魔の力に対して、激しく憤っておられるのです。死の力は、私たち人間にはどうすることもできない現実、決して動くことのない大きな石のように、私たちの望みを打ち砕き、私たちの前に立ちはだかります。主イエスは、激しい憤りをもって、しかも、私たちのために心を騒がせながら、死の力に戦いを挑んで行かれるのです。
 主は、尋ねて言われます。「どこに葬ったのか」。これは普通に読めば、ラザロが葬られた墓の場所を尋ねておられるということでしょう。けれども、「葬る」というのは、その人が死んでしまったという事実を認めて、死の支配下に完全に渡してしまうことを意味します。主イエスは、その死の支配に挑もうとしておられるのです。ユダヤ人たちは、「主よ、来て、ご覧ください」と答えます。ラザロは現に死んで、墓に葬られています。その墓を見て、墓の中に葬られたラザロを見れば、ラザロが死んだということが、疑いようもなく、動かしようもない現実であることを認めざるを得ない。そんな思いが込められているのかもしれません。

 そして、35節です。「イエスは涙を流された」と記されます。ラザロの復活の記事は、主イエスの感情が溢れ出しているようなところがあります。主イエスは、憤りを覚え、心を騒がせられたかと思えば、今度は涙を流されるのです。愛するラザロが、死の支配の下に置かれてしまい、遺された家族をはじめ、慰めに来たユダヤ人たちまでも、みな悲しみの涙に暮れている。その現実を見て、主イエスは涙を流されます。愛する者の死を前にして、悲しみ嘆くことしかできない、その悲しみに触れて、主イエスは激しく心動かされ、涙を流されたのです。けれども、主イエスの涙は、ただ絶望して嘆く私たちの涙と同じではありません。私たちを捕えて支配し、苦しみ悲しみを与え、希望を失わせようとしている死の力との戦いの始まりです。その戦いにおいて主イエスはさらに涙を流し、私たちのために苦しみを受け、十字架にかかって死んでくださったのです。しかし、父なる神は、主イエスを死者の中から復活させて、神の恵みの力が死の力に打ち勝ったことを現わしてくださいました。死の支配は神の愛と恵みによって打ち破られ、新しい命の道が切り開かれました。主イエスの復活において実現したこの救いの先取りとして、ラザロの復活が起こるのです。
 「イエスは涙を流された」。この言葉は、旧新約聖書全体の中で、最も短い聖句としても知られています。聖書のクイズでも、しばしば問われることがあります。聖書全体の中で、最も短い節はどれか、またそれは何語かというのです。原文では、冠詞を入れてもたった三語しかありません。英語の聖書では二語だけです。”Jesus wept.”それだけです。けれども、この最も短い聖句は、その短さにもかかわらず、どの聖句よりも深い意味を持っていると言われてきました。主イエス・キリストは、私たち人間が捕らわれた罪の死の現実に対して、深い憐れみをもって涙を流してくださいました。そして、ご自身の死をもって、その支配から解放してくださったのです。ヨハネの黙示録が描いたように、神が自ら人と共にいて、その神となってくださり、目から涙をことごとく拭い取ってくださる時が来るのです。もはや死もなく、悲しみも嘆きも痛みもない。主イエスは、ご自身の死をもって、その約束が成就される日を望み見ながら、私たちのために涙を流してくださったのです。

 主イエスの涙を見たユダヤ人たちは言いました。「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」。主イエスは、ラザロを、そしてマルタを、またマリアを深く愛しておられました。主イエスが、愛をもって流してくださった涙から、救いの道が開かれて行きます。そしてそこには、愛する独り子をさえ惜しまず、私たちのために死に渡された神の愛が実を結ぶのです。
 今週の火曜日には、葬儀を行うことになります。教会の仲間の葬儀です。そこにも主イエスは共にいてくださることを信じます。死の力に対して憤りをもって、また悲しむ者と共に涙を流してくださる主イエスが、私たちに対する深い愛をもって共にいてくださるのです。そうであればこそ、教会の葬りは成り立ちます。主がおられなかったならば、葬りをすることにどんな意味があるでしょうか。しかし、「主がおられなかったならば」という条件文は成り立ちません。目には見えなくても、主は確かに私たちと共にいてくださるからです。主が共にいてくださるからこそ、死に直面してもなお望みがあります。主が共にいてくださるからこそ、悲しみ嘆く者に、空しくなることのない望みが約束されるのです。今日、この礼拝においても、そして、火曜日の葬りの礼拝においても、主が共にいてくださいます。主の現臨こそが私たちを生かし、私たちを支え、新たな使命へと立ち上がらせて行くのです。

 聖学院は120年、滝野川教会は119年、その歴史の中に、多くの者たちが主の召しを受けて加わり、信仰を守り、教会の業を担い、それをまた後に続く者たちに託して行きました。それがあってこそ、119年の歴史が守られて来たのです。そして今、主の深い愛と恵みと憐れみのゆえに、教会の今を担っている私たち一人ひとりもまた、私たちに与えられた分をしっかりと担いながら、やがてはそれを次の世代へと託して行きます。そのようにして、教会は生き続けて行くのです。とこしえに生きたもう主イエス・キリストが、愛をもって、この教会を用いてくださいます。私たちは、そのような教会のひと肢として、主に仕える仲間たちと共に、十字架と復活の主を仰ぎ、主を心からほめたたえたいと思います。