2023年1月8日 主日礼拝説教「神の時を生きる」 東野尚志牧師

レビ記 第23章39-43節
ヨハネによる福音書 第7章1-13節

 新しい年を迎えて、きょうからヨハネによる福音書の第7章に入りました。実は、この第7章から、ヨハネの福音書は新しい区分に入ります。直前の第6章は71節まであるとても長い章でしたけれど、その主題は一貫していたと言ってよいと思います。第6章の冒頭には、不思議な奇跡の物語が記されていました。主イエスが、わずか五つのパンと二匹の魚を分けて、男だけで5千人、女や子どもも数えれば優に1万人を超える大群衆を満腹させられたという驚くべき出来事でした。主イエスはパンを与えて命を養ってくださるお方だという話から始まって、実は、主イエスご自身が天から降って来た命のパンであり、このパンを食べる者には永遠の命が与えられるという教えが展開されました。永遠の命を与えることができるのは神だけですから、主イエスこそは、神から遣わされた独り子なる神であるということが証しされたのです。
 ところが、ユダヤ人の指導者たちは、主イエスが神と等しいお方、神であるということにつまずいて、主イエスに反発しました。そして、主イエスに従っていた弟子たちの中からも、離れ去っていく者たちが多く出た、ということが第6章の終わりに記されていました。けれども、そのような厳しい状況の中で、シモン・ペトロが主イエスに対する信仰を告白したのです。「主よ、私たちは誰のところへ行きましょう。永遠の命の言葉を持っておられるのは、あなたです。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っています」(6章68-69節)。つまり、一方には、主イエスこそまことの神であられ、命を与える救い主であると信じて、どこまでも主イエスに従って行こうとする者たちがおり、他方、主イエスを神と信じることができず、離れ去っていく者たちがいるということが、はっきりと現わされたのです。それは、言い換えれば、主イエスが誰であるか、主イエスがどのようなお方であるかが示されるとき、信じて従う者と、信じないで背を向けてしまう者が分けられる、ということです。それは、二千年前の時代だけでなく、今日も同じだと言ってよいと思います。いつの時代であっても、主イエスの言葉を聞く者たちに問われているのです。主イエスを信じて従っていくのか、背を向けて離れ去っていくのか、あなたはどうするのか、と問われるのです。
 パンの奇跡をめぐる第6章の物語は、すべて、ガリラヤ湖の周辺で起こりました。主イエスを追いかけて、ガリラヤ湖の対岸で、パンの奇跡を体験した人たちは、さらに主イエスを追いかけてガリラヤ湖を渡り、カファルナウムの会堂にまでやってきて、主イエスの語られる言葉を聞いたのです。

 第7章の初めのところを見ますと、引き続き、主イエスがガリラヤ地方を巡っておられたことの理由が記されています。
1 節です。「その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうと狙っていたので、ユダヤを巡ろうとはされなかった」。ガリラヤでのパンの奇跡を記した第6章を間に挟んで、第5章には、ユダヤのエルサレムにおいて、主イエスがなさった不思議なしるしが記されていました。ベトザタの池の回廊で、38年間も病気で苦しんでいた人を癒やされたのです。その日が安息日であったために、ユダヤ人の指導者たちとの間で論争が起こりました。そして、ユダヤ人は主イエスを迫害し始めて、ついには、殺意を抱くようになったと記されていたのです。5章の18節にこうありました。「このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと付け狙うようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を自分の父であると言い、自分を神と等しい者とされたからである」。この言葉は、直接7章1節へとつながるようにも読めます。ユダヤ人が殺そうと付け狙っていたので、主イエスはユダヤを巡ろうとはされず、ガリラヤの地方を巡っておられたというのです。
 そんなところから、5章と6章の順番を入れ替えて、5章から7章につないで読んだ方がよいと主張する人たちもいます。その方が、話がスムーズにつながるというのです。しかし、それ以前にも、主イエスは北のガリラヤ地方と南のユダヤを行ったり来たりしておられました。ユダヤ人の殺意をかわすようにして、ユダヤからガリラヤへと戻られ、そこでパンの奇跡を行われたとしても不思議はありません。確かに、現在のヨハネによる福音書の形が整うまでには、いくつかの編集の手が加わっていることは事実だと思います。けれども、その結果として、現在の形になり、それが聖書正典とされているわけです。話がつながりやすいように、勝手に記事の順番を入れ替えたりするのではなくて、今の形になっていることの意味と、そこから響いてくるメッセージを大切に受けとめる必要があるのではないかと私は思っています。

 さて、第7章は、第6章から続いて、ガリラヤを舞台として話が始まります。ところが、その途中から、舞台はユダヤのエルサレムへと移ることになります。そのきっかけになったのが、「仮庵祭」というユダヤのお祭りでした。2 節にこうあります。「時に、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた」。10節以下の段落は、その仮庵祭における出来事を記しています。10節には「兄弟たちが祭りに上って行った後で」とあり、11節には「祭りのとき」とあります。さらにその先14節には、「祭りもすでに半ばになった頃」と続いていきます。さらに先まで読んでいくと、37節に「祭りの終わりの大事な日に」と記されています。ユダヤのエルサレムで祝われていた「仮庵祭」を舞台として、主イエスとユダヤ人指導者たち、また群衆との間で論争が起こるのです。ここで話の舞台となっている「仮庵祭」というのは、いったいどういう祭りであったのでしょうか。それは、主イエスの伝道にとって、どのような意味を持ったのでしょうか。
 正直に申しまして、私たちは、仮庵祭について、さほど関心を抱いていないのではないかと思います。仮庵祭はユダヤ教の三大祭りの一つです。そのほかには、過越祭と七週祭、あるいは五旬祭とも呼ばれる祭りがあります。これらの三大祭りの中で、恐らく私たちにとって一番馴染みがあるのは、過越祭だと思います。これはイスラエルの民が、エジプトでの奴隷生活の中から、モーセに率いられて解放された出来事を記念する祭りです。ユダヤの暦で「ニサンの月」に祝われます。今の暦で言えば、3月から4月に当たります。この月が「第一の月」です。神の民イスラエルにとっての新しい出発の記念の月となったからです。ユダヤでは、昔の日本と同じように、月の満ち欠けを基準とする太陰暦を用いていました。1日は新月で、15日に満月を迎えることになります。過越祭は、ニサンの月の14日に小羊を屠って焼いて、種を入れないパンと一緒に食べて祝います。そして、15日から一週間は種なしパンの祭り、除酵祭を祝うのです。私たちが、過越祭に馴染みがあるのは、この過越の祭りの時に、主イエスが十字架につけられて殺されたからです。そして、三日目に復活されました。つまり、過越祭は、主の十字架と復活の出来事と深く結びついているのです。
 ついでに申しますと、春の最初の祭りである過越祭から7週を経て、つまり五十日目に祝われたのが七週祭です。あるいは、五旬祭とも呼ばれます。元来は、小麦の収穫を祝うお祭りでしたが、後には、シナイ山でイスラエルの民に律法が与えられたことを祝う記念の祭りとして祝われるようになりました。この五旬祭も、私たちにとって、馴染みがあります。「五旬祭」と訳される元のギリシア語は「ペンテーコステー」、この日に、約束の聖霊が降って、教会が生まれたのです。ユダヤ教の三大祭りの二つまでもが、キリスト教の祭りで塗り替えられることになりました。過越祭は、主イエスの死と復活を記念するイースター、復活祭に置き換えられ、七週祭は、聖霊降臨を記念するペンテコステの祝いに置き換えられたのです。それに対して、仮庵祭は、キリスト教の祭りとのつながりがないために、関心が高くないのかもしれません。
ちなみに、キリスト教の三大祭りといえば、イースター、ペンテコステ、そして、クリスマスということになるわけです。

 さて、そのユダヤ教の三大祭りの残りの一つが、仮庵祭であります。私たちの関心は薄いとはいえ、ユダヤ教にとっては、三大祭りの中で一番盛大に祝われた祭りだとも言われます。ニサンの月から数えれば「第七の月」、「ティシュリの月」と呼ばれます。9月から10月にあたります。もとは秋の収穫の祭りです。七というのは、ユダヤでは完全数ですから、この月はユダヤ教において最も聖なる月と考えられていました。バビロン捕囚から解放されてユダヤのエルサレムに戻った民が、最初に祝ったのが、この第七の月の仮庵祭であったとエズラ記第3章に記されています。旧約聖書のレビ記23章には、仮庵祭についての詳しい規定が記されています。先ほどは、23章の39節以下を読みましたけれども、実は、仮庵祭の規定は23章の33節から始まっています。33節以下を読んでみます。「主はモーセに告げられた」。ここから始まっているのです。
 「主はモーセに告げられた。『イスラエルの人々に告げなさい。第七の月の十五日から仮庵祭で、七日間は主のものである。最初の日に聖なる集会を開き、どのような仕事もしてはならない。七日間、主への火による献げ物を献げなさい。八日目にもまた聖なる集会を開き、主への火による献げ物を献げて、終わりの集いとする。その日には、どのような仕事もしてはならない』」。少し間を飛ばして、最初に朗読した39節以下に、仮庵祭の具体的な祝い方とこの祭りの意味が詳しく記されているわけです。イスラエルの民は、過越祭において記念したエジプト脱出の出来事の後、シナイ山で神から律法を授かって神の民となる(七週祭・五旬祭)のですけれども、神の言葉に従わなかったために、すんなりと約束の地に入ることができず、荒れ野を旅することになりました。エジプトを出た時から数えれば40年もの間、荒れ野の旅を続けたのです。定住するわけではありませんから、どこに住むにしてもそれは仮の宿りです。天幕生活でした。その先祖たちの荒れ野の旅を思い起こすために、ユダヤの人たちは、この祭りの間、仮小屋を造って七日間そこで過ごしたというのです。

 レビ記23章の41節以下をもう一度読んでみます。「年に七日間、あなたがたはこれを主の祭りとして喜び祝いなさい。第七の月にこれを祝うことは、代々にわたって守るべきとこしえの掟である。七日間、仮小屋で過ごさなければならない。イスラエルで生まれた者はすべて、仮小屋で過ごしなさい。それは、私がイスラエルの人々をエジプトの地から導き出したとき、仮小屋に住まわせたことを、あなたがたの子孫が知るためである。私は主、あなたがたの神である」。最後に「私は主、あなたがたの神である」と告げられています。つまり、荒れ野の旅の仮小屋の生活を追体験するようにして、イスラエルは、神こそが主であるということ、自分たちは神の民であり、神に守られ導かれ、神の恵みによって生かされている者であることを思い起こしたのです。
 同じように、荒れ野の生活を思い起こして語られた申命記もまた記しています。「あなたの神、主がこの四十年の間、荒れ野であなたを導いた、すべての道のりを思い起こしなさい。主はあなたを苦しめ、試み、あなたの心にあるもの、すなわちその戒めを守るかどうかを知ろうとされた。そしてあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたもその先祖も知らなかったマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きるということを、あなたに知らせるためであった」(申命記8章2-3節)。荒れ野の四十年、それは、神に背いた世代が滅ぼされる裁きの時でもありました。しかしまた同時に、何もない荒れ野で、神が与えてくださる糧によって生かされることを、徹底的に身をもって学ぶ恵みの時、神への信仰が鍛えられる時でもあったのです。不自由な荒れ野の生活において、民は神の存在とその恵みを身近に味わいました。その生活を思い起こし、記念する仮庵祭は、ユダヤの民にとって大切な祝いの時でした。全国から巡礼者たちがエルサレムに集まったのです。

 そのような特別な祭りの時であればこそ、主イエスの兄弟たちは、主イエスにエルサレムに行くように促したのだと思われます。ヨハネの福音書に戻りまして、7章の3節以下に記されます。「イエスの兄弟たちが言った。『ここをたってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動するような人はいない。こういうことをしているからには、自分を世に現しなさい。』」。主イエスの「兄弟たち」と記されていますけれども、主イエスはマリアから生まれた最初の子ですから、弟や妹たちということになるのでしょう。生まれたときから、家族として、主イエスと共に育ってきた兄弟です。自分たちのお兄さんが、ただ者でないということはよく分かっていたと思います。その教えの大切さも受けとめていたでしょう。それならば、ガリラヤのような田舎に埋もれていないで、もっと大勢の人たちが集まる都会へ出て行って、堂々とやったらいいではないか、もうすぐ祭りが始まるから、絶好のチャンスだろう。エルサレムへ行って、大勢の人たちの前で不思議な業を見せてやればいい。そう言ったのです。
 確かに、兄弟たちの言うことはもっともだと思われるかもしれません。ところが、そこに福音書記者は記しています。
兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである」。兄弟たちは、主イエスを信じて言ったのではなくて、そんなふうに言いながら、実は信じていなかったというのです。エルサレムでも通用したら本物だ、というような試す思いがあったのかもしれません。主イエスの力ある教えや不思議な業をある程度は認めておりながら、実は、本当には、主イエスが誰であるか、主イエスが何者であるかが分かっていなかったということではないかと思います。家族として、幼い頃から主イエスと一緒にいたにもかかわらず、いや一緒にいたからこそ、主イエスが本当は誰であるかということが見えなかったのです。自分たちの兄弟である主イエスが、神から遣わされた神の子である、ということが分からなかった、恐らく、信じ切ることができなかったのです。
 これは案外、私たちの間でも起こることではないでしょうか。教会に長く通っていれば、聖書の中にどんな話が書かれているかということは大体分かってきます。牧師は口を開けば、十字架の愛だ、罪の赦しだと言っている。ずっと聴き続けていると、何となく分かったような気になります。そして、分かった気になったことについては、私たちは慣れてしまって、あんまり真剣に聞かなくなってしまうのです。自分は聖書のことも知っているし、キリスト教のことも分かっている、そんなふうに思っていることで、かえって、今も生きて働いておられるイエス・キリストのお姿が見えなくなってしまうのではないでしょうか。きょう、この礼拝において、新しく出会おうとしておられる主イエスと出会うことができなくなってしまう。聖書はもう知っている、説教も分かった、と思った途端、心が閉ざされて、新しいことは入ってこなくなります。礼拝において、生ける主イエスと出会うことを期待しなくなってしまう。そうすると、何のために礼拝をしているのかも、分からなくなってくるのです。

 主イエスは、ご自分のことをよく知っているつもりで助言をした兄弟たちに言われました。「私の時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている」。これも、不思議な言葉だと思います。いったい、どういうことでしょうか。主イエスの兄弟たちは、今こそ、エルサレムに上って、群衆の前でご自分をはっきり示すのに相応しい時だ、そう言ったのです。仮庵祭が近づいていたからです。今こそ絶好のチャンスだと言うのです。しかし主イエスは「私の時はまだ来ていない」と言われます。いったい主イエスの時とは何でしょうか、また私たちの時がいつも備わっているというのはどういうことでしょうか。考えてみれば、私たちが、いろんな条件を考慮して、今こそチャンスだと判断するとき、それは人間的な計算に基づく判断であって、神を信じ、主イエスを信じているわけではないのかもしれません。主イエスを信じて、主イエスに信頼しているのではなくて、人間的な知恵と力に頼って、チャンスを捕らえようとしているに過ぎないのです。そのようにして求めても、それは主イエスの時ではないのです。主イエスが神の子救い主であることがはっきりと現わされる主イエスの時は、まだ来ていないのです。
 それならば、主イエスの時はいつ来るのでしょうか。ヨハネによる福音書は、「時」をめぐる対話を印象深く記しています。第 2 章において、婚礼の祝いの席でぶどう酒がなくなり、母マリアが主イエスに訴えたとき、主は言われました。「女よ、私とどんな関わりがあるのです。私の時はまだ来ていません」(2章4節)。そして、7章でも「私の時はまだ来ていない」と言われ、また「私の時がまだ満ちていない」と言われました。少し先のところでは、人々が主イエスを捕らえようとしたけれども手をかけることができなかったとして、その理由を「イエスの時はまだ来ていなかったからである」と記します。ところが、12章において主は言われます。「人の子が栄光を受ける時が来た」。13章1節に記されます。「過越祭の前に、イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいるご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれた」。ここに記される過越祭は、あの仮庵祭の次に巡ってきた過越祭です。主イエスは、この過越祭の時、十字架にかけられ殺されました。その祭りを前にして、主イエスは、「ご自分の時が来た」ことを悟られたのです。それは、「この世から父のもとへ移る」時、すなわち、十字架にかかって死んで、よみがえって、天に昇られる時です。それこそが主イエスの時なのです。17章では、父なる神に祈って言われます。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子に栄光を現してください」(17章1節)。そして、この祈りを終えた後、18章から主イエスの受難の物語が始まるのです。
 主イエスの時、それは、兄弟たちが世に自分を現わすチャンスだと思った時ではありませんでした。人間的な条件やこの世の情勢をもとに判断した時ではありませんでした。それは、神がお定めになった時であり、神が備えてくださった時なのです。主イエスは、神に背いたこの世と人間の罪を暴いたために、世の人たちから憎まれました。そして、ついには十字架にかけられ殺されてしまいました。しかし、そこに、神の時が現わされました。主イエスは、神に背いた私たちが受けなければならない裁きの死を、すべてその身に引き受けて、私たちすべての身代わりとして、十字架の上で命を捨てられたのです。父なる神は、私たちの罪の贖いとするために、まさに、世の罪を取り除く神の小羊として、独り子を世に遣わしてくださいました。主イエスの時、それは、過越の小羊として屠られる十字架の時であり、主イエスの兄弟たちが促した仮庵祭の時ではなかったのです。

 ところが、主イエスは兄弟たちの勧めを退けて、「あなたがたは祭りに上って行くがよい。私はこの祭りには上って行かない。私の時がまだ満ちていないからである」(7章8節)、そう言われたにもかかわらず、後からご自分もこっそりエルサレムに上って行かれたことが記されています。話が違うではないか、と思われるかもしれません。確かに、主イエスの時はまだ来ていませんでした。神が主イエスのために備えられた時ではありませんでした。だからこそ、主イエスは、「兄弟たちが祭りに上って行った後で、イエスご自身も、人目を避け、ひそかに上って行かれた」というのです。人々に自分を現わそうとして行かれたのではなくて、神の定められた時が来るまで、ご自身を隠しておられるのです。主イエスは確かに、その力ある教えにおいて、また不思議な奇跡の業において、ご自身を現わしておられました。しかし、主イエスが神の独り子であり、神から遣わされた救い主であることが、決定的に現わされるのは、神が定められた主イエスの時が来た時、すなわち、十字架の死と復活においてなのです。私たちは、十字架と復活の出来事において、初めて、主イエスが誰であり、何のためにこの世に来られたのかを正しく知ることができる。そう言ってよいのだと思います。
 だから、それ以外の仕方で、それ以外の姿で、主イエスを知ろうとしても、正しく主を知ることはできません。主イエスは、世直しのための活動家でもなければ、不思議な業で注目を集め王に祭り上げられることを良しとするこの世の支配者でもありません。ご自身の命を犠牲として、罪の贖いのために献げることによって、私たちの罪を赦し、私たちを神の子として新しく生まれさせるために、この世に来てくださった救い主です。主イエスの十字架と復活によって満たされた神の時、主イエスの時を見つめながら、聖餐の食卓において、十字架と復活の主が備えてくださった命の恵みにあずかりたいと願います。父なる神は、救いのご計画に従って、私たち一人ひとりのためにも、ふさわしい時を備えてくださると信じます。神が備え、導いてくださる時をしっかりと捉えて歩むことができるよう祈ります。