2025年12月28日 主日礼拝説教「アーメン、主イエスよ、来りませ」 東野 尚志牧師

イザヤ書 第11章1~9節
ヨハネの黙示録 第22章12~21節

 主の年2025年の最後の主の日を迎えました。今年最後の礼拝において、旧新約聖書全体の最後に置かれた、ヨハネの黙示録の言葉を読むことにしました。しかも、その第22章、最後の章、ヨハネの黙示録の結びの言葉です。それはまた同時に、創世記から始まった聖書全体の結びの言葉だと言って良いと思います。最初に天地創造の御業を記した創世記から始まって、神さまの創造と救済の御業が完成される終わりの日の出来事を描いているのです。黙示録は、謎のような言葉や象徴的なイメージに満ちています。それだけに、謎解きに熱中する人たちも少なくありません。誰も、現実としては見たことない世の終わり、終末の出来事が描かれているのです。
 ヨハネの黙示録は、ヨハネが幻として見せられた、これから起こることについて書き記した、という設定で描かれています。黙示録冒頭の1章1節に記されています。「イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである」。ヨハネは、ローマ帝国の迫害を受けて、パトモスという島に流されていました。エーゲ海に浮かぶ小さな島です。孤独な中で、この先どうなるかも分からない不安を覚えながら、忍耐を強いられる日々を送っていたと思われます。しかし、なおも絶望することなく、望みに生きることができたのは、すべてをお始めになったお方が、すべてを完成してくださる終末の黙示、預言の言葉を託されたからです。

 世の終わり、終末のことというと、よく思い出す話があります。今から40年程前、私が東京神学大学の学生として、滝野川教会の礼拝に出席していた頃のことです。当時の主任牧師であった大木英夫先生の書物の中に、終末論をめぐる一つの微笑ましいエピソードが記されていました。大木先生は、『終末論』という書物を出されて、世の注目を集めていました。まだ小さかった娘さんが、世の終わりについて、大木先生に質問したのです。自分の父親が、声高に世界の滅亡を語って不安を煽るような当時流行りの終末論者と同じようなことを説いているのかと心配になられたようです。それに対して、大木先生は、終末論というのは、これから学校の試験に臨もうとして勉強しているとき、まだ試験の前なのに、ふと、試験が終わった後の楽しいことを考えてうれしくなる、そういうことだと教えられた。それを聞いて娘さんは安心したというのです。ただし、そういううれしい終末を迎えるためには、今、一所懸命勉強しないと試験に受からないという現実もある、という落ちがあったかと思います。40年も前に読んだ記憶なので、あまり正確ではないと思います。けれども、その話を読んだとき、終末論は希望の教えだということを学びました。
 今月の10日に観たボンヘッファーの映画のことも、合わせて思い起こされます。今日、発行された『滝野川News Letter』の「上中里日記」にも少し触れましたが、「ヒトラーを暗殺しようとした牧師」という衝撃的なキャッチコピーが注目されました。39歳という若さで処刑されてしまったにもかかわらず、バルトやブルンナーと並んで、20世紀を代表する神学者のひとりに数えられます。獄中書簡をはじめとして、残された数多くの書物を通して、今も大きな影響を残しています。映画そのものは、突っ込みどころもいろいろありはしましたが、見応えのある感動的な作品でした。2時間を越える映画の最後に、数名の囚人たちと一緒に、移送された家で、聖餐式を行う場面が描かれます。ユダヤ人と思われるひとりがそっと出て行った後、囚人を監視するナチスの兵士がひとり、一緒に聖餐に加わります。顔をしかめる囚人に対して、ボンヘッファーは聖餐がすべての人に開かれた命の糧であることを示して、パンを分け、杯を回していく。その後、ボンヘッファーは自ら絞首台に向かいます。刑の執行をもって映画は終わるのですけれども、絞首台に臨むボンヘッファーの顔は輝いています。死が終わりではない。むしろ、それは新たな始まりであることを信じているからです。絶望的な状況に置かれながらも、なお希望を抱くことができた、その根拠は、終末における救いを信じているからです。

 主イエスは言われます。「私はすぐに来る」。終末における救いの望みを支えるのは、主イエス・キリストの再臨の約束です。二千年前の最初のクリスマス、神の独り子が、肉をとって人となり、この地上にやって来られました。私たちと同じ人間のひとりとなって、私たちの身代わりとなり、すべての罪を背負って十字架にかかって死なれました。神の御子の命の犠牲によって、私たちのすべての罪は贖われ、私たちは罪の支配から解放されたのです。さらに、御子イエスは、死人の中からよみがえらされて、死から新たな命へと続く、復活の命の道を切り開いてくださいました。そして、復活の体で弟子たちに現れ、弟子たちの見ている前で天に上げられ、父なる神の右の座に着かれました。神の権能の座にあって、すべてを支配されると共に、今も神の前に、日々、私たちを執り成していてくださいます。その主イエスが、終わりの日、再び天から降って来られるのです。
 御子イエスのご降誕を祝うクリスマスに備えて、私たちは4回の日曜日を含むアドヴェントの期間を過ごしました。日本語では「待降節」、降誕を待つ季節、と呼びます。けれども、アドヴェントという言葉自体は、本来、やって来る、到来ということを意味します。そして、英語で、ザ・セカンド・アドヴェントというと、主の再臨を指すのです。私たちは、二つのアドヴェントの間を生きています。二つの来臨の間を生きています。二千年前、この地上にお生まれになり、その生涯を通して、とりわけ、十字架の苦難を通して救いを成し遂げてくださった主イエスは、すべてを成し終えて天に帰られました。その主イエスが、世の終わりのとき、再び天から降って来られるのです。最初の来臨のときには、神の御子としての栄光は、貧しく無力な乳飲み子の姿の中に隠されていました。けれども、終わりの日には、誰の目にも明らかな神としての栄光のうちに、降って来られる。それが、セカンド・アドヴェント、主の再臨なのです。

 主は言われます。「見よ、私はすぐに来る。私は、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる」。「報い」という言葉が用いられています。「それぞれの行いに応じて報いる」と告げられます。マタイによる福音書の第25章に記された、裁きの物語が思い起こされます。主は言われました。「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く」(マタイ25章31~33節)。「裁き」と訳される言葉のもともとの意味は「分ける」ということです。羊と山羊を分けるように、右と左に分けられる。そして、右側の人たちは天の国を受け継ぎ、左側の人たちは永遠の火に入れられるというのです。しかも、それは、飢え渇き、病気の人を助けたことを、主はご自分にしたこととして、またしなかったこととして裁かれる、と記されています。確かに、行いによって裁かれ、報いを受けると告げられているのです。この聖書箇所をもとにして描かれたのが、ヴァチカンのシスティナ礼拝堂に描かれた「最後の審判」の壁画です。ミケランジェロの代表作の一つです。
 最後の審判は、私たちに不安と恐れを抱かせるかもしれません。中世末期のヨーロッパにおいては、信者たちに恐れを抱かせ、善い行いへと動機づけるために、物語られたり、描かれたりしました。その後遺症で、少々歪んだ形で受けとめられるようになっているのかもしれません。確かに、主イエスは終わりの日、裁き主として降って来られます。「報い」を携えて来られます。けれども、「報い」という言葉で伝えようとしているのは、悪を行った者たち、積極的に善を行わなかった者たちに対する刑罰ではありません。むしろ、十字架によって成し遂げられた救いが、一人ひとりの上に成就されるために、主は来られるのです。私たちを救うために、ご自身の命までも犠牲にしてくださったお方、私たちの力強い弁護者となってくださったお方が、裁きの座に着かれるのです。その裁きは、本来的には、すべての人に対する救いを目的とした裁きであると言うべきではないでしょうか。確かに、罪に対する断罪がないわけではありません。けれども、主イエスが十字架の死によって、私たちの罪をすべて贖ってくださったことを信じ、主の愛と赦しを信じているならば、私たちは、恐れをもってではなく、むしろ、喜びと期待をもって、主の来臨を待ち望むことができるのです。

 ヨハネの黙示録の第22章には、「私はすぐに来る」という主のお言葉が3回繰り返されています。また主の教会が「来りませ」と語る言葉も3回繰り返されます。「私はすぐに来る」という主の約束と「来りませ」という教会の祈りが、ピタリと重なり合っているのが、20節です。今日の説教題は、ここからとりました。「アーメン、主イエスよ、来りませ」。「アーメン」という言葉が冒頭にあるのを不思議に思われた方がおられるかもしれません。通常、「アーメン」は、「その通り」という意味で、祈りの最後に、また讃美歌の最後に唱和されることが多いと思います。ただイエスさまだけが、「アーメン、あなたがたに言う」。「アーメン、アーメン、あなたがたに言う」という独特な語り方をなさいました。聖書協会共同訳の聖書では、「よく言っておく」、「よくよく言っておく」と訳されています。以前の聖書では、「はっきり言っておく」と訳されたこともあります。文語訳では、「誠に汝らに告ぐ」、「まことに誠に汝らに告ぐ」と訳されていました。文語訳が一番、原語の意味をよく表わしているとも言えます。主イエスが、とても大事なことをお話しされるときに、聴き手に集中を求めるように、「アーメン、あなたがたに言う」と言われたのです。
 けれども、私たちが、主イエスと同じように、「アーメン」を冒頭において語ることはありません。20節において、「アーメン」が冒頭に告げられるのは、主イエスの宣言に対する、信仰の応答として祈っているのです。20節に記されます。「これらのことを証しする方が言われる。『然り、私はすぐに来る。』 アーメン、主イエスよ、来りませ」。「然り、私はすぐに来る」という主の宣言に対して、「アーメン」と答えた上で、それに重ねるようにして「主イエスよ、来りませ」、「主よ、来てください」と教会は祈ります。私たちが「来りませ」、「来てください」と願う祈りは、主イエスご自身の「然り、私はすぐに来る」という約束に支えられているのです。主イエスは、私たちが求めるよりも先に、私たちの必要を知っていてくださいます。だからこそ、「私はすぐに来る」と宣言してくださるのです。

 「主イエスよ、来りませ」という教会の祈りは、使徒パウロがコリントの教会に宛てて書いた手紙の最後に記した言葉とも響き合います。16章の21節以下で、パウロは最後の挨拶を告げて言うのです。「私パウロが、自分の手で挨拶を記します。主を愛さない者は、呪われよ。主よ、来りませ。主イエスの恵みが、あなたがたと共にありますように」(16章21~23節)。聖書協会共同訳では、「主よ、来りませ」と訳しました。けれども、聖書の原文を見ると、ここはギリシア語ではなく、ユダヤ人が日常的に用いていたアラム語の言葉が、そのまま記されています。「マラナ・タ」と書かれています。その意味は、「主よ、来りませ」となります。しかし、パウロは、この言葉を新約聖書が書かれたギリシア語に訳さずに、アラム語の音をそのまま写したのです。恐らく、初代の教会の信徒たちは、礼拝のたびに、「マラナ・タ」と唱和していたのだと思います。

 『讃美歌21』の81番に「主の食卓を囲み」という讃美歌があります。ここでは歌いませんが、歌詞だけ紹介します。

 1 主の食卓を囲み、いのちのパンをいただき、
   救いのさかずきを飲み、主にあってわれらはひとつ。

 (くりかえし)
  マラナ・タ、マラナ・タ、主のみ国がきますように。
  マラナ・タ、マラナ・タ、主のみ国がきますように。

 2 主の十字架をおもい、主の復活をたたえ、
   主のみ国を待ち望み、主にあってわれらは生きる。

 3 主の呼びかけにこたえ、主のみことばに従い、
   愛のいぶきに満たされ、主にあってわれらは歩む。

 私の好きな讃美歌の一つです。鎌倉雪ノ下教会の牧師をしていた頃、讃美歌は、1954年版と第2編を用いていたのですけれども、月に一度、第一主日の礼拝で聖餐を祝うときには、この讃美歌を歌うようにしていました。主の食卓にあずかるたびに、「マラナ・タ」、主よ、来てください、主の御国が来ますようにと歌ったのです。聖餐の食卓にあずかるたびに、十字架と復活の恵みを思い起こし、記念すると共に、主の御国を待ち望む歌を歌う。終わりの日、主が再び来てくださるとき、私たちも復活の体をいただいて、御国の祝宴に連なる者とされるのです。そのことを信じ望みながら、御国の祝宴の喜びを先取りするように、聖餐を通して、その前味をいただきたいと願います。
 これから、今年最後の聖餐の恵みにあずかります。「然り、私はすぐに来る」。主の約束を信じて、「アーメン、主イエスよ、来りませ」、「マラナ・タ」と唱和する思いをもって、命の恵みを分かち合いたいと思います。