2025年4月27日 主日礼拝説教「信じる者になりなさい」 東野尚志牧師
詩編 第84編11~13節
ヨハネによる福音書 第20章24~29節
主のご復活を祝うイースターの礼拝から喜びと共に送り出されて、一週の歩みを刻んで来ました。イースターの礼拝から数えて八日目となる今日、私たちは再び、主なる神の招きを受けて、礼拝に集って来たのです。共に集うことができた皆さまお一人びとりの上に、よみがえりの主の祝福をお祈りします。また、礼拝を覚えつつも、この場所に集うことはかなわず、祈りにおいてつながっている信仰の仲間たちの上にも、主の慰めと守りを祈ります。
お気づきになった方もあると思います。先ほど朗読したヨハネによる福音書の物語には、主が墓の中からよみがえって、弟子たちに現れてくださった日から数えて八日目の出来事が記されています。聖書には「八日の後」と書かれていますけれども、それは、私たちの数え方で言えば「八日目」、ちょうど、イースターの出来事から一週間後のことになるわけです。それは、先週の日曜日、主の復活を喜び祝い、一週間の時を経て、再び教会に集まった私たちに重なり合うと言って良いと思います。イースターの日から八日目、一週間後に何が起こったのでしょうか。御言葉を通して、ご一緒に、八日目の祝福にあずかりたいと願います。
二千年前、最初のイースターの朝、復活された主イエスと出会ったマグダラのマリアは、弟子たちのところへ行って「私は主を見ました」と告げました。その同じ日、つまり週の初めの日の夕方、弟子たちが一緒に集まっているところに、よみがえられた主イエスご自身が現れてくださったのです。弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、家の戸に鍵をかけて中に潜んでいたといいます。ところが、主イエスは難なく、弟子たちのいる部屋の中に入って来られました。そして、弟子たちの真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように」と告げられたのです。当時のユダヤの言葉で言えば、「シャローム」と言って挨拶をされたということです。それだけではありません。主イエスは、十字架につけられた手の傷跡と槍で突かれた脇腹の傷跡を弟子たちに見せて、間違いなく、十字架の上で殺された主が、よみがえって弟子たちの前に現れてくださったことを示されました。「弟子たちは、主を見て喜んだ」と証しされています。
ところが、その日、そのとき、十二人の弟子たちの一人であるトマスは、他の弟子たちと一緒にいなかったといいます。トマスだけは、よみがえりの主にお会いすることができなかったのです。主にお会いした喜びと感動を分かち合う弟子たちの群れの中で、トマスはひとり、その仲間に加わることができずにいました。十字架にかけられ、死んで葬られた主が、墓の中からよみがえられたというのです。死は地上の命の終わりであり、すべての交わりを断ち切る絶対的な力だと思われていました。しかし、決して、動くことがないと思われた死が突き破られた。死を突き抜けて、主はよみがえられた。それが本当ならどんなにすばらしいことでしょうか。けれども、トマスはひとり、疎外感を味わっていたのではないかと思います。「私たちは主を見た」と言って喜ぶ弟子たちの輪に加わることができなかったのです。トマスは言いました。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れなければ、私は決して信じない」(20章25節)。
トマスは、「十二人の一人」と呼ばれているように、主イエスが直接選び出してくださった直弟子の一人でした。他の福音書では「使徒」と呼ばれている十二人の一人であったわけです。他の3つの福音書の中では、選ばれた使徒たちの中に名前が挙がっているだけですけれど、ヨハネの福音書では少し詳しく紹介されています。「ディディモと呼ばれるトマス」とあります。「ディディモ」というのは双子を意味する言葉です。実は、「トマス」という名前自体も、双子を意味するアラム語から来ていると言われます。誰と双子であったのかということについては、いろんな伝説もあるようですが、本当のところは分かりません。ただし、後の教会においては、「疑い深いトマス」というあまりありがたくないあだ名で呼ばれるようになりました。他の弟子たちの話を聞いても、主の復活を信じようとしなかったからです。西欧の社会では、懐疑主義者の代表のように見られます。でも本当は、分からないのに分かったような振りをしたり、信じていないのに信じている振りをしたりすることのできない、正直で誠実な人であったのだと思います。
他の福音書では名前しか記されていないトマスですけれども、ヨハネの福音書の中では、比較的詳しく、その人となりに触れることができます。最初に登場するのは、第11章。主イエスが親しくしておられたラザロが死の床にあり、主イエスがそこへ行こうとされたときのことです。他の弟子たちは、心配して言いました。「先生、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、またそこへ行かれるのですか」。しかし、主イエスは、「私たちの友ラザロが眠っている」、「私は彼を起こしに行く」、「さあ、彼のところへ行こう」と言われました。弟子たちの制止を振り切ってラザロのところに行こうとされたのです。トマスは、主イエスが死ぬ決意をされたのかと勘違いしたようです。「私たちも行って、一緒に死のうではないか」と声を上げました。主イエスと一緒なら死ぬ覚悟はできている。そんな思いであったかもしれません。二度目の登場は、第14章。主イエスがいよいよ父なる神のもとへ行くと告げられた場面です。主は、「あなたがたのために場所を用意しに行くのだ」、「私がどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている」と言われました。それを受けてトマスは、「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうして、その道が分かるでしょう」と尋ねました。分からないことは分からない、とはっきり言うのです。このトマスの問いに答える形で、主イエスはあの言葉を語ってくださいました。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」。トマスが分かったような振りをせずに、率直に主イエスに問うてくれたからこそ、私たちは、この大切な主のお言葉を聞くことができたと言ってもよいのです。
イースターの日から一週間を経て、八日目のことです。弟子たちはまた一緒に集まっていました。一週間前と違うのは、トマスも一緒にいたということです。自分だけ、復活された主イエスにお会いできなかったことで、すねてしまって、仲間から離れて行くようなことはありませんでした。トマスもどこかで信じたい、という思いを抱いていたに違いありません。でも、信じるためには、自分が納得しなければならない、という思いが抜けません。たとえ親しい仲間たちの証言があり、決して嘘偽りを言うような人たちではないことが分かっていても、やっぱり、自分で経験しなければ受け入れられない、その気持ちはゆずれませんでした。自分の目で見て、自分の手で触れて確かめなければ信じられない。その疑いや迷いを抱きながら、トマスは他の弟子たちと一緒にいました。一週間前は、一緒にいなかったから、復活の主に会えなかったのです。私たちも、たとえ信じられなくても、分からなくても一緒にいる、いうことが大事なのではないかと思います。
ある人は、ここに教会の姿がある、と言います。これが礼拝の姿だと言います。教会の礼拝には、確かに、主イエスを救い主と信じ、復活の主と出会った喜びに生きている者たちが集まっています。目で見ることはできなくても、聖霊の働きによって、確かに主と共にある平安をいただいている者たちがいます。しかし、それだけではありません。キリスト教の教えに関心があり、聖書の話を聴きたいと思っていても、信じているとは言えない。納得はしていない。まだ分からないところがたくさんある、そう思いながら同じ場所に身を置いている人たちがいるのです。それで良いのです。なぜなら、そこに主が来てくださるからです。いろいろな思いや願いや、あるいは、疑いや迷いや絶望を抱えながら、それでも救いを求めて集まって来た者たちのところに、復活の主が現れてくださいます。私たちの真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように」と告げてくださるのです。
一週間前と同じように、弟子たちの集まった家は、戸に鍵がかけてありました。そして、一週間前と同じことが起こります。戸にはみな鍵がかけてあったのに、主イエスが家の中に入って来られ、弟子たちの真ん中にお立ちになりました。そして、一週間前と同じように、「あなたがたに平和があるように」と告げてくださいました。ただ、そこからが違いました。主イエスはまっすぐトマスを目指して、トマスに向き合って言われたのです。「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。あなたの手を伸ばして、私の脇腹に入れなさい」。トマスが仲間の弟子たちに言った言葉を、その場で聞いておられたかのように、復活された主イエスは、トマスに十字架の傷跡を示しながら言われるのです。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」。迷いと疑いに包まれていたトマスを、信仰へと引き出してくださるのです。確かに、主イエスは弟子たちが集まっているところに現れてくださいます。けれども同時に、その中の一人を目指して、現れてくださいます。「私たち」という群れの中の、この「私」を目指して来てくださるのです。
トマスに示された主の傷跡、それは、確かに、十字架に手足を釘付けにされた傷跡であり、十字架の上で動かなくなった主の死を確認するために、脇から心臓に向けて槍で突き刺された傷の跡でした。主イエスがその傷跡を示されたのは、ほかならぬ十字架の主、確かに十字架で死んだお方が、今、よみがえって目の前におられるということを確かめさせるためでした。けれども、その傷跡は、また同時に、弟子たちの罪と裏切りのしるしでもありました。トマスは、自分たちも主イエスに従って「一緒に死のうではないか」と勇ましいことを言ったにもかかわらず、主が園で兵士たちに捕らえられるとき、主を見捨てて逃げてしまいました。他の弟子たちと同じです。主イエスの十字架の傷跡は、トマス自身の罪と裏切りをもはっきりと突きつけるものでした。けれども、主は、その裏切りを咎めるために傷跡を示されたのではありません。恨み言を言うために罪の証しを突きつけられたのではありません。主イエスはトマスの罪をも背負って、十字架にお架かりになったのです。十字架の死によって、すべての罪の贖いを成し遂げてくださり、死からよみがえって、すべての罪の贖い主として、平和を告げてくださいます。それは、イエスの十字架の犠牲によって成し遂げられた神との和解による平和であり、赦しの宣言だと言ってもよいのです。
十字架の傷を刻んだ手を広げて、トマスを招くようにして、主は言われました。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」。この招きを受けて、弾かれたようにトマスは答えます。「私の主、私の神よ」。主イエスが復活して、自分にも現れてくださった、このお方こそが自分の主であり、自分の神である。その信仰を告白したのです。主イエスにお会いする前、トマスは言いました。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をその脇腹に入れなければ、私は決して信じない」。けれども、このとき、トマスは、主イエスの手の釘の跡と脇腹の傷に、手を指し入れて確かめたから信じたというのではありません。触らないまでも、その傷を見たから信じたというのでもありません。そうではなくて、主イエスの方からトマスに歩み寄って、トマスに語りかけてくださった。不遜な疑いの言葉を口にしたトマスの存在全体を主が受けとめてくださり、トマス自身を求めてくださった。それほどの主の恵みと愛に捕らえられて、信じる者とされたのです。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」。この愛に満ちた呼びかけに捕らえられたのです。よみがえりの主の現臨に圧倒されたと言ってよいかもしれません。
「私の主、私の神よ」。この叫びは、主の現臨に触れたトマスの告白です。それはまた、最初にこの福音書を受け取ったヨハネの教会の信仰告白でもありました。イエス・キリストを「主」とする告白は、他の教会と共通する信仰です。しかし、ヨハネの教会は、イエス・キリストを「主」として崇めるだけではなくて、イエス・キリストを「神」とする告白をもって、その後の教会の信仰の基礎を明確に示したのです。この福音書は、最初に復活者であるイエス・キリストを「言」、ロゴスと呼んで、この方を「神」と言い表しました。福音書の冒頭のロゴス賛歌を思い出してください。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった」。そして、この言が「肉となって、私たちの間に宿った」ところから、地上における主イエス・キリストのご生涯が始まったと告げたのです。今やその福音書のクライマックスにおいて、トマスの口を通して、まことの主であり、神であるキリストへの信仰が告白されます。「私の主、私の神よ」。このトマスの告白は、本来のヨハネ福音書の結びに位置しています。この福音書を読む者たちが皆、キリストの現臨に触れて、トマスの言葉に声を合わせ「私の主、私の神よ」と告白するように招かれているのです。
20世紀に大きな足跡を残した芸術家の一人に、エルンスト・バルラハという人がいます。ドイツの表現主義の彫刻家、画家として知られる人です。ナチスによって退廃芸術という烙印を押されて、多くの作品が没取されたり、破壊されたりしたようですが、このバルラハに「再会」と題する彫刻があります。今日の聖書に描かれた出来事、復活された主イエスとトマスの再会の場面を刻んでいるのです。私が初めて、この彫刻を見たのは、今からちょうど30年前、イギリス留学から帰国して、鎌倉雪ノ下教会の牧師として、鎌倉に住むようになった年でした。1995年の8月から9月にかけて一か月ほど、鎌倉にある神奈川県立近代美術館で、戦後50年を記念する特別展がありました。「芸術の危機―ヒトラーと退廃美術」と題する特別展で、ナチスの迫害を受けた芸術家たちの作品が集められた中に、バルラハの「再会」という彫刻がありました。それほど大きくない素朴な彫刻でしたけれど、しばらく、その前から動くことができませんでした。
私たちが聖書から受けるトマスの印象は、血気盛んな若者という感じがするかもしれません。けれども、バルラハが刻んだトマスは、明らかに老人の姿です。腰も膝も弱って、少し腰を曲げた小柄な老人が、まっすぐに立つ主イエスにすがりつくように手を掛けて、主イエスの顔を見上げているのです。そのトマスの体を主イエスが両腕でしっかり支えておられます。その後、この彫刻と再会する機会がありました。今から19年前、上野の東京藝術大学の美術館で、エルンスト・バルラハ展が開かれた時です。2006年の4月から5月にかけての展示でした。「再会」と題する彫刻とまさに「再会」してうれしく思いました。そのときは、絵葉書大の写真を額に入れたものを買って帰りました。それ以来、鎌倉雪ノ下教会の牧師室にも、聖学院教会の牧師室にも、また今、滝野川教会の執務室にも、この写真を置いています。バルラハは、主イエスにすがりつくトマスの姿に自分自身を重ねたのだと言われます。私も、そこに自分を重ねるようにしてこの彫刻の写真を愛してきました。その同じ写真が、石川日出男さんの病床にも置かれていたのです。
今年の2月18日、病床聖餐のために石川さんのご自宅をお訪ねしたとき、2階にあるお部屋のベッドから横になっても見えるところに「再会」の写真がありました。その後、緩和ケア病棟に移られた後も、個室の窓際のよく見えるところにこの写真がありました。病室をお訪ねしたときにそれを見て、ああ、病院までも持って来られたのだなぁ、と感慨深いものがありました。石川さんも、バルラハの描いたトマスの姿にご自身を重ね合わせておられたのだと思います。自分の信仰や力で、堂々と主イエスに相対しているのではありません。自分自身は、すぐにでも崩れ落ちてしまいそうな無力で頼りない信仰者に過ぎません。しかし、その私を、復活の主がしっかりと支えていてくださいます。十字架の傷を刻んだ主の両手にしっかりと支えられながら、自分自身の不信仰も疑いもすべて主に委ねるようにして、「私の主、私の神よ」と告白することができるのです。石川日出男さんは、天に召されるそのときまで、バルラハの描いた「再会」を見ておられました。そして、そこに、終わりの日の主との再会をも重ね合わせておられたのではないかと思います。
主はトマスに言われました。「私を見たから信じたのか。見ないで信じる人は、幸いである」。復活された主イエスが天に昇られた後、だれも、肉の目で主のお姿を見ることはできなくなりました。けれども、主は私たちにご自身の霊である聖霊を送ってくださいました。私たちは、聖霊の助けによって、霊なる主の現臨にあずかることができます。目で見なくても、聖餐の食卓において、パンと杯を通して、霊なる主にお会いするのです。 主イエスは、代々の教会に生きるすべての者たちのために、私たちすべてのために、見ないで信じる者の幸いを告げてくださいました。そして、私たち一人ひとりが信じる者になるよう、招いてくださっているのです。