■1903年(明治36年)2月、「基督教会(ディサイプルス)」宣教師ハーヴェイ・ヒューゴ・ガイ博士は、本郷森川町基督教会を仮校舎として聖学院神学校を開設し、次いで東京府北豊島郡滝野川村字中里に用地を購入して、校舎の建築を始めました。ガイ博士は、校舎の完成に先だった1904年3月頃から、滝野川にあった自宅で、学校関係者や神学生のための日曜礼拝や祈祷会を始めました。1904年(明治37年)9月、校舎が完成し、神学校がここで授業を始めると同時に、校長宅で開かれていた集会も神学校内に移されて、聖学院神学校内滝野川基督(キリスト)教会が発足しました。これが私たちの教会の始まりでした。

■当時、敷地内には、美しく大きな樹木、もみや杉、松やけやき、そして樹齢300年を経た椎の老木が幾本も残っていて、地元では「椎の木屋敷」と呼ばれていました。教会は当初、牧師をおかず、礼拝説教は神学校の教職が分担し、日曜夜の伝道集会や日曜学校は神学生が分担していました。教会は神学生たちの伝道実習場でもありましたが、その中心的役割を担ったのは、聖学院神学校の教授で、後に聖学院中学校の初代校長となった、石川角次郎牧師でした。その後、1906年(明治39年)9月には、同地に聖学院中学校が開校され、また1907年(明治40年)11月には、1905年に築地で開設された女子聖学院が、隣接地に移転してきました。

■女子聖学院の校舎ができてから、教会の主日礼拝は女子聖学院の講堂で行われ、教会外の方も出席できるようになりました。聖学院諸学校の規模が大きくなるにつれ、教会諸集会への出席者が増加するとともに、近隣の学生や一般の方々も、石川角次郎牧師の聖書研究会に出席するようになりました。また当時の日曜学校(現在の教会学校)は、教会青年と女子神学生たちによって行われていました。

■1911年(明治44年)11月、当時女子聖学院の教頭でもあった平井庸吉牧師を、はじめての牧師として迎えました。それまでは定まった牧師もなく、いわば学校関係者を中心とした信徒の一団でしかなかった教会が、教会としての組織をなしたのは、この時期からでした。また1914年(大正3年)11月、聖学院の敷地の中心に聖学院神学校の校舎が新築され、それ以降、この建物が教会の会堂と日曜学校の教室になりました。

■当時、教会は学校の中にありましたが、この頃、教会の主力は一般住民の伝道に注ぐようにしたい、との伝道方針がまとめられ、また同時に、この計画を実施するためには、専任の牧師を持つべきである、ということが認識されるようになりました。この方針に基づいて、1926年(大正15年)5月、教会は友野三恵牧師を専任牧師として迎えることになり、また時を同じくして、学院の外に、小さい会堂を、自力で建てることになりました。

■教会は、東京市滝野川区中里町316番地、田端荘の裏に約100坪の土地を借り受け、この土地に、木造平屋建ての教会堂と2階建ての牧師館を建て、「町の教会」として歩むことになりました。献堂式は、1932年(昭和7年)11月27日に、180名参集のもと行われました。教会が学院外に出たことに伴い、同年12月から、聖学院・女子聖学院両校は、学校内において、主日礼拝や日曜学校を始めました。これが学校礼拝として整えられていき、1938年(昭和13年)には、聖学院教会として組織化されました。なお、その後聖学院教会は、1943年(昭和18年)4月、政府の学校教会解散令により閉鎖され、他教会に転会を希望する者以外は、すべて滝野川教会へ移籍されることになりました。

■1939年(昭和14年)1月、友野三恵牧師の大阪天王寺教会への転任に伴い、同年5月、教会は千葉儀一牧師を迎えました。またこの年、東京府の道路拡張計画に伴い、会堂と牧師館は6月末までに移転しなければならなくなりました。移転先として、東京府滝野川区田端町56番地に225坪の土地を購入し、木造平屋建て(一部2階建て)の教会堂と、2階建ての牧師館を建てました。1939年(昭和14年)12月10日午後、新会堂献堂式が行われました。工事中、日曜学校は女子聖学院で、主日礼拝と祈祷会は田端町の千葉儀一牧師宅で行われました。

■1945年(昭和20年)3月下旬、鉄道から50m以内の家屋は強制疎開を命ぜられます。鉄道線路に近かった教会は、女子聖学院幼稚園に引っ越すことになりました。その後、4月13日夜から翌日にかけてあった城北大空襲により、教会堂、牧師館ともに焼失しました。聖学院・女子聖学院両校の校舎は戦災を免れたため、千葉儀一牧師は女子聖学院内に住み、幼稚園で主日礼拝や諸集会を続けました。

■戦後しばらく、教会は仮住まいの幼稚園で諸集会を続けました。焼失した田端の会堂跡地は緑地帯になるため、再利用が不可能となり、教会では別地を探しました。1948年(昭和23年)7月、上中里7番地(現在の場所)に205坪の土地を購入し、そこに65坪176名の集会が可能な会堂と、21坪の牧師館の建築工事が始められました。建築は年末までに完成し、翌1949年(昭和24年)1月9日午後、献堂式が行われました。

■この会堂は、増改築を繰り返しながら1989年のクリスマスまで使用されましたが、礼拝出席者の増加に伴い手狭となったため、建築家遠藤楽氏設計による現会堂に建て替えられました(1991年3月落成、同年5月26日午後献堂式)。その後、教会創立百周年を記念して、同じく遠藤楽氏設計による百周年記念館が隣接地に建築され(2004年2月落成、同年4月11日午後献堂式)、現在に至ります。

■その間、1963年(昭和38年)3月に千葉儀一牧師引退の後、主任牧師としては、大木英夫牧師(1963年4月~2000年3月)、深井智朗牧師(2000年4月~2012年3月)、阿久戸光晴牧師(2012年4月~2018年3月)、西之園路子牧師(2018年4月~2019年3月)が歴任し、また担任教師として多くの伝道者が仕えてこられました。現在は、東野尚志牧師(2019年6月~)、ひかり牧師(2020年4月~)ご夫妻が、牧会を行っています。

Dr. Harvey Hugo Guy
石川角次郎牧師
女子聖学院の校舎、講堂、寄宿舎
古地図(滝野川区中里町316番地付近)